0人が本棚に入れています
本棚に追加
「じゃ、次は美弥の番」
いつの間にか隣に来て興味なさ気に記録を眺めていた凪に走るように促される。
「止め忘れたりしない?」
「あー、うん。平気」
まかせて、と言う彼女は両手で瞼を大きく開いて見せた。少なくとも高校生の間ではそれが見ている確かな証拠として使えることはないだろう。
こんな子でも恋をするらしい。
「いいからふつうにこれ持って。あとは見てるだけだから」
私は持っていた記録シートを少しぶっきら棒に渡してからスタート地点まで歩く。時折振り返ってみると、凪は安心しろと言わんばかりに瞼を開いて見せてくれた。
最近は凪のこうした行動に対して過剰に苛つくようになった。周期は問題ではないのはわかっている。前ならこんなことはなかったのに。
理由は…よくわからない、と思う。
少し離れた校舎の方を見ると、学校指定の短い体操服の私たちとは反対にマフラーにコート、手袋を身につけた完全装備の学生がちらほらと下校していく姿が見える。少し羨ましいと思うが、それももうすぐなくなるだろう。
程なくしてスタートラインに立つ。
ここに立つのはあまり好きではない。まるで誰も味方のいない戦地に向かわされた気分になる。大会だとスターターの持つピストルの音もあり、授業の一環で観賞した戦争映画を思い出す。
その映画のラストでは主人公の少年が空爆の中を大切な人のもとへ帰るために戦場を走り抜けていたシーンが印象に残っている。
なんとなく凪を見てみる。遠くてよくわからないが、顔はこちらではなく別の場所に向けているように見える。たぶん佐月さんの方だろう。おい。
見るんじゃなかったとかぶりを振ろうとして、銃声代わりのホイッスルが鳴った。遅れて走り出す。戦争があった頃なら判断が遅いと言われて平手を喰らっていたかもしれない。
八つ当たりのように凪を睨もうとして、映画のことを思い出してやめた。
走り始めると冷たい風も相まって思考が落ち着いていく。
耳を風が切る音で遮られて、自分の内側へと降りていく。
考えるのは自分のこと。最近の凪の一挙手一投足を見ていると、どうも平常心を保っていられなくなる。下手なメイクを見せてきたときはどんな顔をしていたかわからない。今までメイクなんてやってなかったのに。
恋というのは人をそれほどまでに変えてしまうのだろうか。
結局考えていたのは凪のことだ。
最初のコメントを投稿しよう!