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耳を刺すような笛の音と同時に、走り出す。真剣な眼差しで駆ける姿は、いつ見ても心にこみ上げてくるものがある。鬼気迫る表情にはその先にあるものを求めているみたいだった。
凪は視線を下げることなく、そのまま私のいるゴールを越えるようにして走りきった。
記録、十五秒三。女子百メートルの記録としては十分な成績だ。
走り終えた凪の身体からは纏うようにして白い蒸気が立ち昇っており、それが外界との気温差を物語っていた。
アップをしているのかまだ集まっていないのか、グラウンドには陸上部の面々しか居らず、ちょっとした静寂が身を震わせる。二月に入ったばかりだった。
走りきった凪はグラウンドの先の地平線を見つめている。
同じほうへ目を向ければ、そこには同じ一年生の佐月さんがアップを始めていた。
「おつかれ、凪」
私は持っていたシートに記録をしてから凪の側に寄って持っていたペットボトルを渡す。
そこでようやく私に気づいたようにあぅあぅと言葉になっていないーおそらくだがー感謝の一言と交換するように受け取った。
柊凪は適当な人物だ。その端整な顔と物静かなところから、よく賢い、ミステリアスなどの評価を受けている。しかし、十年ほどのつき合いを持つとわかることだが、彼女はなにも考えていない。ものごとに対して関心が薄いから自分で交友の輪を広げようとしないし、自発的になにかを始めたとしても興味が一週間保てばよい方だった。
だから凪が陸上部に入ってもうすぐ一年が経とうとしているのはけっこうおかしなことだ。
当初はまた数日したら自分の席でぼけた顔をしていると思ったのだが、そんなことはなく、だらだらと付き合っていたら、いつの間にか年を越していた。
何があったのか、本人にぼかして聞いたことがある。根掘り葉掘り聞くつもりはなかったのだが、あまりに曖昧な受け答えしかしない凪にイラつきを隠さずに聞き出した。
要約すると「好きな人がいるから」だ。
昔から突拍子もなくて子どものような彼女は、いつのまにか恋を知る歳にまで成長していた。
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