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厳しい残暑の中、二学期が始まった。
放課後の生物室に深結が来ることは、もう殆どないけれど、授業中、板書して振り返った時や、教科書から目を上げた時、こちらを射貫く熱心な黒い瞳とぶつかった。そんな時、向こうは唇の端を微かに上げるだけの笑みで五郎の息を止め、繋がった視線の糸を切らないよう、丁寧にたっぷりと時間をかけて睫毛を下ろし、ノートを取り始める。
まんまと術中に嵌り、取り残された視線の持って行き場に困りながら「まったくこいつは狡い」と胸中に恨み言を吐くが、実際に恨めしいのは、授業を続けなくてはならない己の身の不自由である。
捕まっているのは自覚済みだ。夢などに頼らなくとも、もう、五郎はいつでも思い出せるのだから仕方ない。
前生の、あの茹だるような夏の日。山野を駆け回って遊んでいた野生児の自分が、貰われてきた都会の畏まった家で、木漏れ陽を反射して湧きいづる泉水のようなものに出会ってしまったのだ。
そんなもの、手を伸ばさずに居られまい。
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