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部屋の荒れようから想像する限りでは、誰かが訪ねてきたのだろうという予測はつく。それも、明が知っている人物だ。累ならば、明があんなふうに身を隠すように逃げたりはしないだろうし、櫂がこちらに来たとも考えにくい。宅配便を装った人物に襲われた、なんて特殊なものも可能性として否定は出来ないがセキュリティーの厳しいこのマンションにそんなチープな手口で忍び込もうとするのはあまりに無謀だ。では一体誰だろう……優には思い当たる人物が見当たらなかった。
何度か白濁を吐き出して、意識を失うように眠った明の顔を見つめ、優は短い息を吐いた。
ソファで眠る明の顔は穏やかだ。白い長い耳は出たままだが、これはどちらかといえばそれだけリラックスしているという事だろう。泣いたせいか瞼は赤く少し腫れているが、他に怪我もないようで優は安堵していた。
ただ、明が起きたら話は聞かなくてはいけないだろう。
優が明の髪をやさしく撫でた、その時だった。明の柳眉が歪み、ゆっくりと瞼が開く。明が起きたようだった。
「明……気が付いた?」
「……優さん……」
ぼんやりとこちらを見上げる明が優に向かって手を伸ばす。優はそれをつかみ取り、大丈夫か、と聞いた。
「もう、平気です……ありがとうございます」
「それなら良かった。少し、話を聞いてもいい?」
「はい……」
頷く明の手を引き、起き上がる手助けをしてから、ソファに座った明の隣に優も腰掛ける。それから明の肩を抱いて、ゆっくりと口を開いた。
「俺がいない間、誰か訪ねてきた?」
優の問いに、明がこくりと頷く。それを見た優が、そう、と頷いてから更に言葉を繋ぐ。
「誰? 俺の知ってる人?」
「……優さんが知ってるかは分からないですけど……会社の人です。営業の永兎さんって人」
「永兎……」
その名前に覚えはない。けれど、今朝社長室で明の所在を聞いてきた若い社員は営業部に所属していると聞いた。パズルのピースが嵌りそうで嵌らない、もどかしさが優を包む。
「ぼくが会社を休んでるって知って、電話をくれて……この場所を教えるつもりはなかったんですけど、どうしてもお見舞いに行きたいからと言われて」
明は押しに弱い。もし、その永兎という人物が、明の心配をしているんだから受け入れるべき、なんて一見筋の通った言葉のようで、その実ワガママを当然のように通そうとする、そんなことを言われたら、ここの住所くらい簡単に教えてしまうだろう。
「そっか……それで?」
「永兎さんって、ぼくと同じうさぎ獣人で、だからぼくの体の変化に気付いて……」
明はそこまで話すと、震える手で優のシャツの裾を握った。明にこれ以上話を聞くのは酷だと思い、優は、分かったよ、と明の肩をより強く抱きしめた。
きっと同じ獣人なら、特に明の香りには敏感なのだろう。その香りにあてられたのか、初めからそのつもりだったのかは分からないが、明に手を出そうとした。上手く逃げたもののきっかけは分からないが、今度は明の方が発情してしまった、というところだろう。多分、この予想は合っている。
「一人にして悪かった。よく頑張ったな」
シャツを握っていた手に手のひらを重ねると、明の手から自然に力が抜けていった。明の指の間に指を滑らせそのまま握ると、明も同じように握り込む。その指先は温かで、明の気持ちが落ち着いたのだと分かり、優は安心した。
「うん、でもね、ぼく思ったんです、自分の身は自分で守るって。だって、ぼくは優さんの番になって、いずれお母さんになるんだから、もっと強くならなきゃって……」
いつかぼくだけの体じゃなくなるんですから、と明がこちらを見上げ微笑む。その笑顔に優の心臓は射抜かれたみたいに高鳴り、苦しくなった。
明の可愛らしさだけではなく、その強さも見た気がして、優は今一度明のことを好きだと感じた。それと同時に、きちんと明と番になるべきだと強く思うのだった。
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