そのはち:焼肉

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そのはち:焼肉

 その日、体育教師のヴェスカは朝から無性に焼肉が食べたい欲求に駆られていた。起床から職場へ向かう為の準備、出勤の最中まで脳内では鉄板の上で温められていく分厚くジューシーな肉汁に覆われた焼肉の映像が延々繰り返されていく。  …あー、めっちゃ肉食いたい。  別に肉に関する夢を見た訳では無い。  起きた時に無性に焼肉が食べたいと思っただけだった。朝から何故そう思ってしまったのかは自分でも分からない。  とにかく食べたいという欲求だけが湧いていた。  いつも通り校舎に向かう前に、早朝から開店しているスーパーで昼ご飯を買い、ガサガサとビニール袋を鳴らして校舎内に入ると、同じように通勤してきたオーギュスティンに出くわす。  彼と顔を合わせると妙にテンションが上がるヴェスカは袋を持った手を上げて「おぉ」と声を上げた。その一方でオーギュスティンは、変に大きな袋を見て不思議そうな面持ちでヴェスカに疑問をぶつける。 「…その大きな袋、何ですか?」  オーギュスティンは朝の挨拶をそこそこに、ヴェスカの持っている袋の異様な大きさに眉を寄せていた。 「あぁ、さっき買い物して来たから…」 「そうですか…」  ちらりと覗かせる野菜やら何やらが気になったが、帰る時間が遅くなるのを見越して先に食材等を買って来たのだろうと勝手に判断する。稀に事務作業に追われると食材を買いにいけなくなってしまう時がある。  恐らく彼も今日は仕事に追われ、帰宅時に買い物したくても間に合わないのだろう。  それならば仕方無い。 「そうだ、オーギュスティン先生」 「はい?」  二人は並んで歩き、取り止めのない会話をしながら校舎へと向かう。 「学校に鉄板ってありましたっけ?」 「…は?鉄板?さぁ…調理室とかならあるんじゃないですか…」  そっかぁ、と唸る。  体育の授業に鉄板なんて危ない物を使う項目なんてあったっけ…とぼんやり考えた。どう考えても全く記憶が無い。むしろ、自分は体育の授業が苦手だった。 「せめてホットプレートでもあればいいんだけどなぁ」  何かを考えているのか、ぶつぶつと呟くヴェスカ。 「体育の授業って鉄板使いましたっけ?」 「いや、使わないな。個人的に使いたいだけなんだよね」 「はぁ…」  いよいよ何をしたいのか分からなくなってきた。しかし、あまり突っ込んだ事を聞けば彼は「やっぱり俺に興味があるんじゃん!」と凄まじい勘違いをするのでこれ以上聞くのも気が引けてしまう。  そこそこに関わって、そこそこに無視した方がいいと判断したオーギュスティンは、それ以上掘り下げるのは止めにした。  午前の授業が終了し、昼休み中。  それぞれが持ち寄った昼ご飯を机上に用意し、食事にありつこうとしている最中、ヴェスカは「さーて」とおもむろに立ち上がって職員室から出て行った。  いつもは自分の席で食べるのに珍しい…と向かいの席で不思議に思ったオーギュスティンだったが、気にしない事にした。鞄の中に入れていた固形の栄養補助食品を引っ張り、食べながら事務作業をする。  しばらくすると、バタバタとこちらに近付いてくる足音が聞こえてきた。それは職員室の前で止まり、同時にガラリと勢い良く扉が開かれる。 「すみませーん!!」  騒々しく駆け込んできた生徒に、他の教師は何事かと驚いた。 「何だ?廊下は走るなって…」 「いや、それどころじゃなくてさぁ!調理室が」 「ん?調理室?」  慌てながら入ってきた生徒と、注意する教師の会話に耳を側立てる。 「調理室でヴェスカ先生が焼肉食ってんだよ!!」  オーギュスティンは思わず食事の手を止めてしまった。  あの朝に見た大きな袋は、と色々思い出していく。そしてその間の会話の内容と照らし合わせ、その理由が合致するとガタンと席を立った。 「ズルくねぇか!?俺らも焼肉食いてぇのに!!」  謎の苦情を訴える生徒。食べたいのも十分理解出来るが。  …違う、そうじゃない。  流石にこれは教師として駄目だろうとその生徒を宥め、嫌々ながらも「ちょっと行ってきますよ…」とやる気無く告げる。  心当たりがある以上、放置する訳にもいかなかった。  朝の段階で気付かなかった自分にも責任がある。前々から彼は馬鹿だと思っていたが、ここまでだとは思わなかった。  調理室へ近付くにつれて、肉を焼く香ばしい香りと香りに釣られて様子を見にきた生徒らの声が聞こえてくる。そりゃそうだろう。皆焼肉が大好きなのだ。  育ち盛りの彼らには最高の好物なのだから。 「ちょっと失礼しますよ…」  人の波を掻き分け、オーギュスティンは調理室の扉を思いっきり開いた。そこにはホットプレートで焼肉を楽しむヴェスカの姿。 「…んんんっ?」  普通に家で焼肉をしているように、彼は食事を楽しんでいた。 「…何してるんですか?」 「あー…食う?」  もうもうと煙が立ち込める中、焼肉を食べる欲求を満たし満足そうなヴェスカ。呆れを通り越して脱力しそうになりながら、オーギュスティンは拒否する。 「いりませんよ!ここで焼肉を食べるとか…上の警報器が鳴ったらどうする気だったんですか!」 「あぁ、止めた」 「止めたぁ!?」  臨時にね、と笑いながら肉を焼く。騒ぎになっていてもまだ肉を焼くのか、とすぐにオーギュスティンはホットプレートの電源を止め、線も引っこ抜くと「やめなさい!!」と怒る。  いきなり中断され、残念がるヴェスカ。しょんぼりしたように言った。 「昼飯で食べたかったんだよぉ…」 「焼肉の匂いが充満するじゃないですか!!他の生徒にも気付かれてるからやめて下さい!!…あぁ、こんな事なら朝に気付くべきだった。持っている袋が異様にデカかったのに…!!」 「はは、気付いてたんだ?やっぱ俺の事好きなんじゃないの?」 「まさか学校の中で焼肉をするなんて思う訳無いでしょうが!!」  どこの世界に学校で焼肉の用意をして食う馬鹿がいるのか。  ちぇ、と渋々片付けていくヴェスカに説教をしながら、自分の服に焼肉の匂いが付いてしまいオーギュスティンは嘆いていた。
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