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そのにじゅうよん:エアコン解禁
「そういえば…」
おもむろにラスは言い出した。
「?」
「最近先輩を抱き締めていません」
リシェはもっしゃもしゃとアイスを口にしていた。この日は朝からひたすら蒸し暑く、窓を全開にしてもろくに風が入ってこない。寮内の個室のエアコンはまだ許可が出ないので、寮生達は不満の声を上げていた。
あまりの暑苦しさで、日に日に不満が蓄積されているのでそろそろ解禁になる頃だろう。そんな状態なのでストック用のアイスは必須なのだ。
「このクソ暑い時に抱き締めるだのなんだのって。本当にお前は暑苦しい奴だな」
うんざりしたようにリシェは吐き捨てる。
この状況下で他人と密着したいという発想が考えられない様子だ。
「いい加減この暑さにイライラしてきたな。どうせ寮の事務室はエアコンガンガン付けてるんだろ。こんな理不尽があっていいのか」
「あー…」
夜はまだマシだが、問題は休日のこの部屋での過ごし方だ。
あまりの暑苦しさで、本来快適に過ごせるはずの部屋が牢獄のような環境になってしまう。いい加減解禁してもいいのではないだろうか。
「想像すると腹が立ってきたな。事務室のエアコンの室外機、回ってたら棒切れ突っ込んで壊してやろうか」
アイスを食べ終え、棒をゴミ箱に捨てた後でまた体感温度が上がってきたらしい。リシェはギリギリと歯を鳴らし凶暴な事を言い出した。言いたくなる気持ちも分からなくもない。
ラスはううんと唸り、「向こうもまだ我慢大会をしているかもしれませんし…」とリシェの苛立ちを止めようとする。
外からは少しずつ蝉の鳴き声らしきものが聞こえていた。
「洗濯物は良く乾くからいいんですけどね…」
そう言いながら、ふと窓辺の物干し竿に吊り下がっているクマのぬいぐるみに目線を向ける。リシェが抱き枕として使っているそれは、干された事によってどこか恨みがましい目をしてこちらを見下ろしていた。
はぁ…とリシェは溜息を漏らす。
「むしろ勝手に動かしてもいいんじゃないのか」
「んん…それじゃ試してみますか」
ラスはリモコンのボタンを押し込んでみた。
しかしびくともしない。恐らく勝手に使ったりしないように元の電源を落としているのだろう。
「…ダメみたいです」
「ちっ」
ダラダラと汗が流れ落ちていく。
「たんまり金を貰ってる癖に何でここまでケチなんだ。どうせあっちは涼しい部屋でのうのうと仕事してるんだろうよ。やっぱり室外機に棒切れ突っ込んで分からせてやらないと」
苛立ちのあまり、彼はスッと立ち上がって木刀を手にした。
その木刀は何処から持ってきたのだろう。
「せ、先輩…落ち着いて。というか、今頃事務室にみんな殺到してるんじゃないですかね…苦情言いに…この暑さですもん、みんな考える事は同じですよ」
リシェをどうにかして落ち着かせていると、至急連絡用の放送が室内に鳴り響いた。
寮部屋の冷房の許可が下りる旨の内容で、窓の外から歓喜の叫び声があちこちから聞こえる。どうやら苦情が殺到したらしい。
「…エアコン使えますよ。良かったですね、先輩」
「はぁ…これで快適に過ごせる…」
そしてリモコンの手を伸ばした。しかしぴたりと止まる。
ラスは眉を寄せると、「どうしましたか?」とリシェに聞いた。
「ここで一気にみんな付けたら落ちるんじゃないかって思ってな」
「はぁ…まぁ、大丈夫じゃないですか?そこまで柔じゃないと思うけど…今まで落ちたっていう話も無かったし…」
「少し待ってからにしよう。これで着かなかったら台無しだ」
それまで散々文句を付けていたくせに、ここにきて躊躇してしまうのは元からの性格のためなのだろうか。
しばらく時間を置いて、リシェはようやくリモコンのボタンを押してみた。
しかし。
「………?」
「あれ?」
何度か押しても、室内のエアコンが反応しない。
「付かないぞ」
「ええ…」
本体の様子を見ても特別変わった事は無い。それなのに全くウィング部分が開いてくれなかった。
他の寮部屋は普通に動いている様子だ。それなのにこちらの部屋は全く作動する気配も無い。
「おかしいな」
「もう…ちょっと聞いてみますよ。ここまできて動かないなんて…」
ここで足止めを食らったら更に不快指数が爆上がりしてしまう。
仕方無く、ラスは事務室へ掛け合う事にした。
…数分後。
ラスは複雑そうな表情で戻ってきた。
「どうだった?」
「それが、俺らが使うエアコンの室外機が壊れてたみたいで…俺達の部屋だけじゃなく、他の部屋も何部屋か動かないか逆に熱風が来るって苦情が入ってるって。だから一部は修理が来るまで我慢しなきゃいけないみたいです」
「…壊れてるって…」
「鳥に突かれた跡みたいなのが残ってましたよ…」
リシェはぽかんと口を開いた。
「周りにハトの羽根みたいなのが分散してたので、多分それじゃないかなって…」
何故ハトが室外機を攻撃していたのかは不明だが、執拗に突いた痕跡があったので何か気に入らない事でもあったのかもしれない。
ハトという名詞を聞いた瞬間、リシェは激昂した。
「またあいつらか!!!」
あいつら、という段階でまるで心当たりがあるかのような言い方だが、リシェには全く心当たりは無い。むしろハトがリシェに構いたそうにしている節がある。
彼は頭を掻きむしると、苛立ちながら「あの野郎!」とまるで知り合いか何かのような扱いをして吐き捨てる。
その様子は美少年とは思えない程粗暴な荒れ具合だった。
「あいつら、俺らが使う部屋を把握していて破壊したに違いない!何て性根の腐った奴らだ、ピンポイントで突いて来るとか!!」
めちゃくちゃな言いようだが、そう思わずにはいられないのだろう。
ラスはまさか…と言いながら、しばらくこの暑さに耐えなければならないのかぁ…とぼんやりと天井を見上げていた。
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