そのさんじゅうに:とばっちり

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そのさんじゅうに:とばっちり

 ん?あの子は一体…。  ある日の放課後、アストレーゼン学園の保健医であるロシュは校舎前に佇む一人の少女の姿を見つけた。明らかにこの学校の制服ではないのでひたすら際立って見えてしまう。  校門の前で立ち往生しているという事は、こちらの生徒に用があるのだろう。  もしくは恋人を待っているとか…。  そう思うと甘酸っぱい気持ちになり、つい笑みを漏らした。何と初々しい事だろう。  しかしなかなかお目当ての生徒が来ないのか、一人一人を確認しては肩を落としている。しっかり待ち合わせをしていれば話は別だが、アポ無しの可能性も無くはない。 「こんにちは。どなたかお待ちでしたか?」  突然声を掛けられ、相手の少女は細身の体をひくりと震わせる。そして恐る恐る顔を上げた。  ロシュの姿を見るなり、彼女は驚いたように目を見開いてしまう。  それもその筈。  彼は外見だけは凄まじく良い。中性的で優しげな甘いマスクはとにかく他者を惑わせてくる。持ち前の整った顔は、街を歩く度に人々の目線を奪う程で、身長もそれなりに高く、均整の取れた体格もまた世の女性たちを魅了してしまう。  優しい顔立ちから放たれる笑みを見れば、大半は心奪われてしまうだろう。とにかく彼は神々に愛されて生まれたのかと思わせてしまう位の美貌を持っていた。  …唯一の欠点を挙げれば、リシェの話になると非常に気持ちの悪い変態になる事だけ。 「こんにちは、お嬢さん」  光輝く営業スマイルを浮かべ、ロシュは少女に近付き声を掛けた。 「あ…」  声を掛けられた少女はロシュに気付くと、滅多にお目に掛かれないレベルの美貌の男に若干驚いた顔を見せる。まさか大人の男性に声を掛けられるとは想定していなかったのかもしれない。  一瞬戸惑っていたが、基本的に人懐っこい性格なのだろう。すぐに「こんにちは」と返事をする。 「こちらの学校に何かご用が?」 「ええ」  その受け答えだけでも、いい所出のお嬢様という印象を受ける。大抵の子は「うん」という相手を問わずに普通の受け答えをしてくるものだ。  彼女の手にはラッピングされた小さな箱が入っていた。  誰かに渡す物なのだろう。この学校は寮生の他に、自宅からの登校者も数多いので校舎から出るのを待っているのかもしれない。 「おや、プレゼントですか?」 「そう。約束したのよ。でもなかなか出て来てくれないのよね…困ったわ。このままじゃ日が暮れちゃうし」 「そうだったのですか…」  ロシュは空に向けて目線を上げた。確かにもう夕暮れも消えかかりそうな空模様だ。流石に真っ暗なままで女性一人でこの先帰るのは危険過ぎる。  明るい内に目的を果たしてあげたいが…。 「どの生徒かお名前をお伺いしてもいいですか?宜しければ、明日にでもお渡ししますよ…あっ、私はこの学校の保健医をしていますので怪しい者ではありません」  学校関係者と聞いた為か、少女はほっとした顔で「あら」と表情を明るくした。 「先生だったのね」 「ええ、ええ。今日はもうお渡しするのは厳しいかもしれませんが、明日にでも生徒の名前が分かれば確認出来ますので…」 「そうねぇ…今日はもうこの時間だし、厳しいかもしれないわ。約束したのに忘れたのかしらね」  彼女は可愛らしく頰をぷくりと膨らませた。その表情ですら非常に初々しく見えてくる。 「まぁ、急用が出来たのかもしれませんからね。宜しければお相手のお名前をお伺いしても?」 「有難う。えっと、名前はリシェっていうの。見た目が女の子みたいだからすぐに分かると思うわ」 「り、リシェ!?…リシェですか」  突然出てきた最愛の相手の名前に、ロシュは目を丸くして驚く。まさか同じ年頃の異性からも慕われているとは思いもしなかったようだ。 「あら、ご存知?」 「ええ、ええ…あの子は非常に目立つ生徒ですからね。あの子でしたら私も良く知っていますよ」 「それなら良かったわ…私はもう時間だからお願いしてもいいかしら…誰からって聞かれたら、リゼラからって言って貰えれば。多分あの子もこのケーキの箱を見れば思い出すとは思うけど…」  なるほど…とロシュはリゼラから箱を受け取りながら不意に思い出した。  今日はクリスマスか、と。 「手作りのケーキですか?それは大切にお渡ししないと」  まさかここでも恋路のライバルが出現してしまうとは。  ラスだけでもいっぱいいっぱいなのに。  謎に恋の橋渡しのような事になってしまうとはと複雑な気持ちになりながら、ロシュはリゼラに微笑み返す。 「じゃあ、お願いします」  リゼラはぺこりと頭を下げた。 「はい。お任せ下さい」  とりあえず目的を果たせた為か、リゼラは安心した様子でロシュに礼を告げてこの場から去っていった。 「………」  私も帰るか…。  受け取ったケーキの箱を手にしながら、ロシュも自宅への帰路を辿っていった。  可愛らしい恋のライバルが手渡してきた箱の中身が気になり、自宅マンションに戻ったロシュはそれとなく中を確認していた。流石に下品な行為だと自分でも思うが、やはり気になってしまう。  綺麗にデコレーションされたケーキなのだろう。  そっと箱の端から覗き込んでみると、茶系のショートケーキのようなフォルムが見えてくる。チョコレートケーキか何かかな、と思っていたその時。  …どうしてタバスコの香りがするのだろう…。  こういうタイプのケーキなのかな、と思ったが甘いケーキなのにタバスコ臭がするとはあまり聞いた事が無い。  これをリシェが食べるのか?と疑問を感じたが、タバスコに続いてワサビの香りが追撃してきた。この段階でおかしいのだから、味は一体どんな事になるのだろう。 「う…こ、これはどうかと思うけども…」  これを口にして大丈夫なのかと思う。  リシェの胃袋が心配になった。これは流石に渡せるレベルでは無いのではないかと。  こうなれば、ケーキの味が気になってくる。色んな刺激臭を漂わせている段階でお察しな気もしてくるが。  …愛するリシェには後程違うケーキを入れ替えて渡しておこう。  数日後。 「あっれ…ロシュ先生、まだ休みなんだ」  保健室の前を通過する際に、リシェは他の生徒がぼやいているのを耳にする。 「これで五日目だっけ。入院してるらしいぞ」 「まじでー?何か病気かな」  …あの人はずっと居ないのか。知らんけど。  彼らの話を聞きながら、リシェは健康に気を使っている人でもこうなる時があるんだな…とまるで他人事のように考えていた。
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