いつか六法全書が書きかわるまで

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 *  一ヶ月というのはあっという間だ。  私はあの日から、朝陽くんの家に行くことをやめた。  朝陽くんはもちろん、高梨優理からも連絡がきたけれど、その返事も素っ気なく一言、二言だけ。申し訳ないとは思いつつ、彼らだってその理由は十分わかっているだろう。だから、一度連絡がきて以降、音沙汰はない。  朝陽くんを思い浮かべる度、じんわりと涙が浮かぶ。  まだ辛い。そんな気持ちを吹っ切るために、私はとにかく机にかじりついた。今度の模試では、全国順位を大幅に上げるという目標を掲げていた。こんな風に、無理やりにでも夢中になれるものに縋っていないと、心が折れてしまいそうだったのだ。  模試が終わり、しばらくは燃え尽き症候群のような(てい)で過ごした後、ついにその日はやってきた。  ──朝陽くんと、あの人の結婚式。  見上げれば、眩いばかりの太陽に、真っ青な空、彼らを祝福するかのような見事な晴天。  なのに、私の気持ちはどんよりとした曇り空だ。もう雨は降らない。散々泣いたせいで、涙は枯れてしまったらしい。  泣くというのにも、気力と体力が必要だ。大失恋をし、死に物狂いで勉強して挑んだ模試を終え、今の私は満身創痍だった。そんな私に気力体力など残されているはずもない。  言われるままに出かける準備をし、ぼんやりとしたまま家を出る。それでも、久しぶりに朝陽くんと顔を合わせるのだからと、今できる精一杯のおしゃれをした。  小さい頃からよく似合うと言ってもらっていた淡く優しいブルー、その色を探しに探し、やっとの思いで見つけたワンピースに袖を通し、髪はハーフアップにして毛先に緩くウエーブをかける。メイクは優しい雰囲気を壊さないように、それでいて少し背伸びをした大人っぽい雰囲気のものにした。  両親はしきりに褒めてくれたけれど、上手く笑えていたかはわからない。  ──あぁ、私の恋も今日で終わりだ。  式場になっていたレストランは、こじんまりとしていたけれど、とても温かな雰囲気に包まれていた。  木の温もりを感じる店内には、緑と花がふんだんにあしらわれ、森の中にいるようなリラックス感がある。そこには、すでに人が多く集まっていた。  朝陽くんの会社で同じ部署の人たち、その他親しくしている取引先の人も招待しているらしい。ほぼ身内だけといっても、そこそこ人数はいる。  そんな中、司会の男性がマイクで式の始まりを告げた。  私たちは決められた席へ座る。同じテーブルには両親と弟、そして大和がいた。すぐ隣のテーブルには彼女の家族がいて、前方をじっと見つめている。  司会の男性が二人の入場を知らせた瞬間、音楽が流れ、二人が登場する。二人の姿が見えた途端、会場は一気にわいた。  薄いグレーのタキシードを着た朝陽くんを見て、私の心がきゅう、と音を立てる。  まるで、王子様がそこにいるかのようだった。でもその隣にいるのは私じゃない。朝陽くんの隣には、眩いばかりの笑顔を湛え、純白のウェディングドレスを身に纏ったあの人。  王子様の隣にはお姫様。彼女は、この場にいる誰よりも、朝陽くんの隣にふさわしいお姫様だった。 「……っ」  二人の姿を見て、いろいろな感情が込み上げてくる。堪えられなくなりそうで、視線を少しだけ上向ける。  堪えろ、堪えろ。涙が零れてしまわないように。  それから後の時間は、あまりよく覚えていない。  とにかく自分の感情をコントロールすることでいっぱいいっぱいだったし、気持ちを紛らわすために食に走った。今日、ワンピースを着てきたのは大正解だったと思う。  賑やかな場所からは少し離れ、私は遠目からひたすら朝陽くんを見つめていた。そしてその私の隣には、何故かいつも大和が一緒にいた。  スーツに身を包んだ大和は、普段よりも大人っぽい。今日は口数が少ないせいか、更にそう見える。  朝陽くんとあの人の周りは、常に誰かしらがいる。スマホやカメラのフラッシュが瞬いていて、あの二人が動く度、照らされたスポットライトも移動しているように見えた。 「あ」  私は咄嗟に視線を逸らす。心臓がバクバクと脈打っていた。  ほんの一瞬だったけれど、あの人と目が合った。忙しく目線を動かしていたあの人は、私と目が合った瞬間、歓喜の表情を浮かべたように見えた。  気のせいだ、そう思ったけれど、衣擦れの音が近づいてくるのがわかり、私は諦めて前を向く。
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