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「花乃ちゃん」
「あの、今日は……ご結婚……」
おめでとうございます、そう続けようとした。でもできなかった。何故なら──。
「来てくれてありがとう! 嬉しい!」
思い切り抱きつかれ、言葉を遮られてしまったのだ。
こんなに強く抱きつくと、ドレスが皺になるんじゃないかと思ったけれど、彼女はようやく捕まえたとばかりに、なかなか私を離そうとしない。
「ゆ、優理さん、あの、ちょっと……」
私がオロオロしていると、彼女はやっと身体を離し、悪戯っぽく笑った。そして、手に持っていたものを私に押し付けてくる。
「え……」
「これ、絶対に花乃ちゃんに渡したかったの」
「でも……」
受け取ったものを見つめ、吐息する。
これを欲しいと思っている人が、この中に果たして何人いるのか。私みたいな子どもがもらっていいものか。
私が彼女からもらったものは、花嫁のブーケだったのだ。
「花乃ちゃんの大事な朝陽をもらっちゃったから。……花乃ちゃんにもこの先、生涯を共にしたいと思える、朝陽よりも大切に思える人に出会えますように、そういう気持ちを込めて。今はまだそんな気持ちになれないかもしれない。それでも、花乃ちゃんには前を向いてほしいから」
「……」
ふっくらとしたシルエットのブーケには、白いバラやピンクのシャクヤク、ラナンキュラスなど様々な花が咲き乱れている。仄かに香る匂いに、胸がいっぱいになる。
「花乃」
誰よりも大好きで、ずっと聞いていたいと願った声。
朝陽くんも、いつの間にか側に来ていた。
「朝陽くん……」
「今日は来てくれてありがとう。花乃、花乃のおかげで僕は優理に出会えたんだよ。花乃には本当に感謝している」
「私の……?」
首を傾げると、朝陽くんがおかしそうにクスッと笑みを漏らす。
「これまでの僕の彼女は、全員花乃のお眼鏡に適わなかったからね。思い返すと、僕自身の気持ちもそれほど真剣じゃなかったかもしれない。そんな僕の心を見透かしたように、花乃は彼女たちを蹴散らしてしまった」
「う……ごめ……」
「違うんだ」
謝ろうとすると、朝陽くんが慌ててそれを制し、今までに見たこともないような微笑みを見せた。
感謝と慈愛に満ちた笑みとでもいうのだろうか。朝陽くんは、これまで私が見てきた中で、一番幸せそうな顔をした。
「だから、僕は優理と会えた。優理に出会って、僕は本気で人を好きになること、愛することを知った気がするんだ。そして、優理に会えたのは花乃、君のおかげなんだよ。ありがとう」
胸が詰まり、目頭が熱くなる。
「花乃ちゃん」
「わっ!」
私は慌ててブーケが潰れないように避難させる。彼女がまたもや私に抱きついてきたのだ。そして、むずむずと擽ったくなるほどの距離で、そっと囁いた。
「花乃ちゃん、大好き」
「え……」
彼女を見ると、キラキラと輝いていた。
幸せオーラで輝いているとも言えるけれど、少し違う。だって、彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいたから。
あぁ、これだから困る。
彼女を朝陽くんから引き離したかった。こちらを揶揄ってくる口調にイライラすることもあったし、大人の余裕を見せるところも癪に障った。
でも、この人には敵わないって、私は最初からわかっていたのだ。
私は顔を上げ、真っ直ぐに二人を見つめる。
「……結婚、おめでとう。二人ともすごく幸せそう。本当に……おめでとう」
そう言うと、彼女──優理さんは、とうとう泣き出してしまった。そんな優理さんを宥めながら、朝陽くんは私に笑顔を向ける。
「花乃、本当にありがとう。花乃は僕の自慢の姪っ子だよ」
あぁ、言われてしまった。「自慢の姪っ子」だって。
朝陽くんは他の人たちの声に、優理さんを連れてこの場を離れる。
私はそれを見送りながら、小さく呟いた。
「本当は、そう言われたくなかったけど」
その時、やんわりと頭を撫でる大きな手を感じた。チラッと見上げると、それは大和のもの。
「……頑張ったな」
「うん」
「ちゃんと、言えたな」
「……うん」
気が抜けたのか、スッと一筋涙が零れた。
バッグからハンカチを出そうをする前に、目の前に差し出される。まるで、タイミングを見計らっていたかのように。
「ちゃんと洗ってるの?」
「失礼だな。洗ってるし、アイロンもかけてる」
「おばさん、ありがとうございます」
「なんで俺に言わないんだよ!」
いつものやり取りにホッとする。
私は大和からハンカチを受け取り、軽く目に当てた。
まだ、心は痛い。まだ、傷は癒えていない。それでも──。
「朝陽くんが幸せで、よかった」
今日、そんな風に思えてよかった。そう思える自分が誇らしかった。
いつか、六法全書が書きかわるまで。
──そこまで待ってはもらえなかったけれど。
私の気持ちに陽が差してくる。その温かな光は、私を包み、再び前を向かせてくれる。
私は心の中で、ずっと想い続けてきた気持ちに別れを告げた。
ありがとう、朝陽くん。
朝陽くんを好きになって、本当によかった。
了
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