いつか六法全書が書きかわるまで

8/11

86人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
「ここ……」  連れてこられたのは、通っていた小学校の近くにある小さな公園だった。滑り台と砂場、鉄棒、それらの遊具の側にはベンチがある。ここは、かつて私たちもよく遊んだ場所だった。 「なんか、久しぶりだ……」  外灯に照らされた公園には、人っ子一人いない。辺りもシンと静まり返っている。  大和は私をベンチに座らせ、一人分間を空けて、自分も腰を下ろす。私の腕はまだ捕らえたままだった。 「美咲おばさんから全部聞いた」 「……そっか」  だから大和は私を探したのだろう。  私は真っ暗な空を仰ぎ、大きく息を吐き出した。 「優理さんを紹介された時から、嫌な予感はあったの。あの人、これまでの彼女と全然違って……私がいくら邪魔してもへこたれないし、逆にこっちを挑発してきたりもするし。朝陽くんの前でも平気で私に意地悪なことも言うし、私もそれに乗せられて喧嘩しちゃったり……全然飾らないの。かっこつけたりしない。朝陽くんの前でも素でいるの」 「そうだな」 「口喧嘩ばっかりしてる私たちを見て、朝陽くんはいつも笑ってるし、おまけになんか嬉しそうだし。そんな朝陽くんを見て、優理さんまで嬉しそうに笑うし」  この人から早く朝陽くんを取り戻さなきゃと、いつも焦っていた。そうしないと取り返しのつかないことになる。でも、とても敵わない。心のどこかでそう思っていた。 「朝陽くんの優理さんを見る表情が、これまでの彼女と全然違うの。優しいだけじゃなくて……すごく……想いが溢れてて……ど……して……」  大和の手が離れ、その手は私の頭の上に乗せられる。ポスン、ポスンと、ぎこちなく撫でられる。  いつもなら、その手を払いのけただろう。子ども扱いするな、なんて文句と一緒に。  でも今は、そんな気力なんてなくて。 「ずっと……好きだった」 「そうだな」 「叔父と姪が結婚できないなら、結婚できるようにしてやるって……そう思ってた」 「……そうだな」 「なのに……六法全書が書きかわっても、私の夢は叶わない」  そんなつもりはないのに、声が震え、頬に雫が伝う。顔を見られたくなくて下を向くと、頭に乗った大和の手は動きを止め、今度はくしゃくしゃと乱暴に撫で始めた。  この手には覚えがある。小さい頃、私が泣いていると、いつもこうやって大和がぶっきらぼうな仕草で慰めてくれた。それを思い出して、嫌なのに涙がどんどん溢れてくる。 「朝陽さんからも連絡をもらった。……今日、朝陽さんと優理さんで花乃に話をするつもりだったらしい。でも強引に俺が連れ戻しに来たから……悪かったな」  そうか。あの二人から話してくれるつもりだったのか。  ──結婚を決めたことを。 「とりあえずさ、美咲おばさんと朝陽さんには連絡入れておくぞ。めちゃくちゃ心配してたからな」 「……うん」  大和は片手で器用にスマホを操作し、二人に私を見つけたことを報告する。その間もずっと、もう片方の手は私の頭を撫でていた。  私の髪はもうぐしゃぐしゃだ。顔だって涙でぐしゃぐしゃ。こんな姿、誰にも見せたくない。特に、朝陽くんには絶対に見られたくない。 「花乃はしっかり者で、自分の夢に向かって一生懸命努力する、僕の自慢の姪っ子だよ」 「……」 「朝陽くんはいつもそう言ってくれた。だから、私はずっとそんな自分でいようと思ったし、もっと頑張ろうって思ってた。でも、本当に願っていたのは……僕の自慢の彼女だよって、言ってもらえることだった」  あぁ、また涙がボタボタと落ちていく。  どうしよう、止まらない。届かなかった想いが宙に浮いたまま、行き場所がない。 「それなのに、ひどいよね。結婚式場とかなら、そんなにすぐに予約もできないし、もっと先になるから心の準備もできるだろうけど……レストランウェディングで身内だけの式だなんて。しかも、一ヶ月後でしょ。もっと早く言ってくれないと、とても行けないじゃん」  たった一ヶ月なんて無理だ。足りない。そんな短い期間で、思い切ることなんてできるわけがない。幸せそうな二人を見て、冷静にいられる自信なんてないし、祝福なんてできそうもない。  それなら、出席しない? 「でも! 朝陽くんが幸せになることを祝福できないのは嫌、嫌なの!」  私は小さく唸り声をあげる。辛くて、苦しくて、この想いをどうにかしたくて必死にもがく。  朝陽くんが、いつか誰かのものになってしまうこと。  私は心のどこかできっとわかっていた。でもそれを認めることが怖くて、目を背けていた。覚悟しなくちゃいけないこともわかっていたはずなのに、それをずっと後回しにしていたのだ。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

86人が本棚に入れています
本棚に追加