いつか六法全書が書きかわるまで

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「花乃が式に出なかったとしても、あの二人はわかってくれる」 「え……」  ポツンと呟くように、大和が言った。 「そりゃ、花乃には出席してもらいたいだろうし、祝福してもらいたいだろうけど。それでも、花乃が真剣に朝陽さんを想っていたことは二人ともわかってる。だから、そんなに簡単に気持ちの整理なんてつかないだろうってことも……わかってる」 「……」 「ギリギリまで言えなかったのは、本当に申し訳なかったって言ってた。でも、言えなかったんだ。花乃の顔を見る度に言わなきゃと思ってたけど、言えなかったってさ」  朝陽くんに会えるだけで、いつも天にも昇る気持ちだった。嬉しくて、嬉しくて、たまらなくて。  だから──言えなかったのか。 「あ……」 「どうした?」 「うん……そういえば今日、優理さんがちょっと変だったなって……」  ところどころで何か言いたげな、でも迷っているような、そんな困った顔をしていた。  彼女の顔を思い出し、またぶわりと涙が込み上げてくる。 「気を、遣われた」  言い出すタイミングを窺って、でも言えなかった。普段、あんなに言いたいことをポンポン言う人が、言えなかったのだ。 「当然だろ」 「なんか……悔しい」 「……ハァ」  大和は力を入れて、ぐしゃぐしゃと私の頭を掻きまわす。 「痛いって!」 「優理さんが、どんだけ花乃のことを気に入ってるのか、お前知らないだろ?」 「え……?」  大和の言葉にびっくりして、私の涙がぴたりと止まる。 「陰でこっそり俺に言ってたよ。お前のこと、生意気で可愛い妹だって。お前と口喧嘩するのが楽しくて仕方ないって」 「……なに、それ」 「朝陽さんも相当お前のこと可愛がってるけど、優理さんだって負けてない。めちゃくちゃ好きなんだよ、花乃こと」 「……」 「だから、言えなかったんだ。花乃としては理不尽かもしれないけど、そんな二人の気持ちは……わかってやれないか?」  私は大和を軽く睨み、また顔を俯ける。  そんなことを言われたら、一度引っ込んだ涙がまた溢れてくる。これじゃ、キリがないじゃないか。  それに、本当はちゃんとわかっている。  私だって、優理さんのことはそれなりに気に入っているのだ。朝陽くんをこの人に取られるのならそれも仕方ないのかもしれないって、本当はわかっていた。ただ、それを認めたくなかっただけ。 「……勉強する」 「は?」  私の言葉に、大和が素っ頓狂な声をあげた。  勢いよく顔を上げる私に、大和がビクッと肩を震わせる。その顔は、一体何を言い出すんだと言いたげだ。  二人が結婚するまでの一ヶ月、うだうだと泣き暮らすなんて私らしくない。  そんなに簡単に今までの想いを吹っ切れるとは思わない。それでも、私は式に出て、二人を祝福すべきだと思った。だってそれが、対等の関係ってものでしょ? だったら、悲しみを別の形で昇華してやる。 「ちょうど二週間後には模試もあるしね。勉強して勉強して、全国順位を上げてやるわよ。……朝陽くんとの将来のために法律を変えてやるって思ってたけど、ここまできたらそれを貫く。で! 絶対に私が六法全書を書きかえてやるんだから!」  チラリと大和を見ると、目が点になっていた。  またこいつはバカなことを言っている、そう思っていることがありありとわかる。 「ぶはっ!」 「笑うな、バカ!」 「笑うわ! でもまぁ、それでこそ花乃だわ。それじゃ、俺もそれに乗っかるかな」 「は?」 「模試の結果だよ。二週間後の模試、俺はお前より上を行く」 「はああああっ!?」  学校の成績だって、模試だって、これまで一度たりとも私よりも上を行ったことなんてないくせに!  こちらを煽るような大和の顔にイラッとしながらも、なんとなく楽しくなってきてしまった。さっきまであれほど辛くて悲しい気持ちが、いつの間にかほんの少しだけ和らいでいる。 「また大きく出たわね。もし達成できなかったら?」 「何でも好きなもん買ってやるよ」 「へぇ~。じゃ、アナスイの財布! お値段結構するけど、平気なワケ?」 「いいよ。その代わり、達成できたら?」 「じゃ、私も大和の好きなもの買ってあげる」 「……物はいらない。じゃ、俺の言うこと一つ聞けよ」 「いいよ」 「よし。それじゃ、帰るぞ。今夜から模試対策やらないと」 「せいぜい頑張ってー」 「そうやって余裕かませるのも今のうちだからな!」  胸はまだ痛む。それでも、何か目標ができるだけで気が紛れる。大和はそれをわかって、挑んできたのかもしれない。  そんなことを思いながら、私たちは家路についたのだった。
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