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その時、背後でこちらに近づく足音が聞こえてきた。こんなところに立っていたら、駅に向かう人の邪魔になってしまう。道を譲ろうと足を踏み出した私は、聞こえてきた声に驚いて固まった。
「すみません、明日、彼女には予定があるんです」
聞き間違えようのない声だった。この数か月、毎週のように聞いていたのだから。でも、都合の良い幻覚のようで信じられなかった。恐る恐る、振り返る。
「ユキくん……」
こみ上げてきた感情は言葉にならなくて、名前を呼ぶことしかできなかった。
「行こう」
ユキくんが私の手を掴む。どこに行くのかとか、どうしてここにいるのとか、疑問がいくつも巡った。でも今はなんでもいい。回らない頭でもわかる。この手を離したくない。出てこない言葉の代わりに、私は彼の手を握り返した。
「えっと、ごめんなさい。二次会楽しんでください!」
ぽかんと口を開けたままフリーズしている星野さんにどうにか声をかけると、よそ見するなというように手を引かれた。強引な行動にびっくりして、ユキくんの顔を見上げる。前を向いているから表情はわからないけれど、少なくとも機嫌が良さそうには見えなかった。
飲食店が減り駅前の喧騒も遠ざかったあたりで、ユキくんはようやく立ち止まった。繋いだままだった手も離れる。途端に寒さを感じて、マフラーを口元に引き寄せた。
「カヤさんに今日のこと聞いたんだ。ちょうど、仕事で近くまで来たから」
聞かれてもいないのに言い訳するのは、機嫌が悪いというより気まずいのだろう。怒っているわけではないようで安心した。
「ごめん、邪魔するつもりはなかったんだけど、気づいたらあんなこと言ってた」
「ううん、本当は私がちゃんと言うべきだった。明日は『トッカータ』に行くって」
うっすらと星野さんの気持ちを察した時、私はどう断ろうかとばかり考えていた。その時点でもう、答えは出ていたのだ。
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