6.私のための小夜曲

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「よく考えたら、俺だって自分のことはよくわからないや」  ユキくんの暢気な声が、上から降ってくる。 「ピアニストも修理師も俺の一部でしかないし、自分ではらしくないと思っても、それが周りから見た俺のイメージなのかもしれない。結局、『本当の自分』なんて少し先に見える蜃気楼みたいなものじゃないかな」  おぼろげに見えているのに、実体がなくて掴めない。確かに蜃気楼と同じだ。本当の自分というより、なりたい自分に近いのだろう。 「でも、わからなくても俺はそれなりに楽しく過ごしてるよ。小夜さんも、そのくらいの気持ちでいたらいいと思う。――ずっと、隣で見てるからさ」 「うん、ありがとう」  涙はいつの間にか止まっていた。顔を上げ、ユキくんに向かって笑う。たぶん今のは、自然な笑顔だったはず。でもユキくんはどこか腑に落ちないような顔をしていた。やっぱりまだうまく笑えていないのだろうか。 「最後に言ったことの意味、ちゃんと伝わってる?」 「最後? えっと……」  首を捻って、考え込んでいたのは三秒ほど。反応の鈍い私にしびれを切らしたように、ユキくんは私の手を取って歩き出した。 「まあいいや。とりあえずライバルは消したし」  何やら不穏なことを言っているけれど、ユキくんは上機嫌だった。彼が私に笑いかけてくれる。この手が彼の手と繋がっている。今はそれだけで充分だ。  ユキくんは少し遠回りをして、私が最寄りの路線の改札をくぐるまで見届けて帰っていった。たぶん、お酒が入っていた上に泣いたり笑ったり忙しかったから、心配してくれたのだろう。  ふわふわと幸せに包まれて家に帰りついた私は、シャワーを浴びている時、不意に我に返った。 「“ずっと隣で”の意味って……」  ううん、まさか。でも、期待していいのだろうか。 「ねえ玲奈、どう思う?」  鏡に向かって問いかける。ほんのり赤い、不安げな私の顔が映っていた。 ――小夜なら大丈夫だよ。  欲しかった答えとは少し違うけれど、彼女は初めて私の名前を呼んだ。ああ、もう“一緒”ではなくなったのだ。晴れ渡った青空を見上げたみたいな、清々しい寂しさを覚えた。
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