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僕は本が大好きだし、電車が好きだ。電車に乗りながら本を読むのなんて、本当に最高だと思う。そんな僕だから、どんどん電車の知識を吸収して、小さいながらも大人顔負けの知識を身につけることができた。おかげで周りからは神童だって呼ばれるようになって、テレビにも出たことがあるんだよ。本当の僕は、内弁慶で人見知りだから、人前に立ったら、うまく話ができないんだけど、電車のことになると別。だからテレビに出た時も、スラスラはっきり大声で答えることができて、大人たちが「すごーい」って言ってた。お父さんも、お母さんも、僕のことを「自慢の息子だ」って言って、いつも喜んでた。
でもそれは、幼稚園までの話なんだ。小学校に入ると、僕はとたんに勉強も運動もできなくて、落ちこぼれの烙印を押されちゃった。でもね、電車の知識だけは別。幼稚園の頃よりも、さらに知っていることが増えたし、電車の未来図みたいなのも考えるようになってきた。電車のことを勉強したり、考えたりするのは本当に楽しいんだ。それは幼稚園の頃と変わらないかな。
でも、あんなに「自慢の息子だ」って言って、いつも喜んでたお父さんもお母さんも、僕がどんなに電車の話をしようとしても止められるの。「もう電車は良いんじゃない?」「それより、ほら宿題をしなさい」って言うんだ。どうして?
プラレールやNゲージを走らせたり、並べたり、横になって寝そべって眺めるのだって楽しいのに。なんでみんなわかってくれないの? 僕がおかしいのかな? 小学生になったら、やめなくちゃいけないことなの?
あ、でもね。おばあちゃんだけは違うんだよ。おばあちゃんは、僕が電車の話をするとね、楽しそうに微笑みながら聞いてくれるんだ。それに、お父さんとお母さんはもう買ってくれなくなった電車グッズを、おばあちゃんだけが買ってくれる。それでね、「日本の電車はきっちり時間を守るよね」って言ってくるの。僕もそう思う。だから僕、おばあちゃんが大好き!
わかってくれる人がいるから、僕は周りがなんて言って来ようと、自分の好きなことをしようって思ったんだ。小学校に通っている時も、休み時間は教室や図書館で電車の本を読んでるし。でもね、小学校もだんだんと高学年になってくると、周りの僕を見る目が変わってきた。1年生や2年生の時は、「何で一緒に遊ばないの?」ぐらいだったのに、今では「本ばっかり読んでるくせに勉強できないじゃん」「神童だって言われてたよな。あれって、バカって意味だったの?」「電車オタクなんてダセェ」ってバカにされて、イジメられるようになっちゃった。僕はただ、昔と変わらず電車の本を読んでいるだけなのに……。
僕がイジメに遭っていることが、お父さんとお母さんにも知られるようになった。そしたら、
「あなたが電車でばっかり遊んでいるからでしょ!」
って怒られたんだ。何か僕が電車を好きでいることを完全否定されたみたいで悲しかった。それになんか負い目を感じて……学校そのものに行きたくなくなったんだ。でも、朝布団の中でくるまっていると、お父さんとお母さんが無理やり布団をはがして、
「さっさと学校へ行きなさい!」
って怖い顔で言ってくるんだよ。その顔が本当に怖くて。あの言葉のトゲトゲした感じも嫌だし、家にずっといられないと思って、逃げるように学校へ行った。でも、学校へ行っても、クラスメイトにイジメられるだけだから、僕の居場所はどこにもない。だから授業が終わるのだけを願って過ごし、終わったらクラスメイトに見つからないようにして学校を飛び出して、自分の部屋の押し入れの中にこもった。
押し入れの奥には、お父さんとお母さんに隠している電車グッズが沢山あるんだ。このほとんどは、大好きなおばあちゃんが買ってくれたもの。でも、楽しすぎて時間を忘れて遊んだよ。でも、ここにあることがバレるとダメだから、夕飯の時間になったら、ちゃんと片づけをして、リビングに行ったけどね。
ある休みの日、朝食を食べようと思って部屋を出たら、お母さんが誰かに電話しているようだった。
「おばあちゃん。知っているんですからね。いまだに息子に電車のオモチャを買ってあげていること。金輪際、息子に電車のオモチャを買わないで下さい!」
怒鳴っているお母さんの声を聞いて、僕はとても悲しくなった。
でもね。お父さんとお母さんがいない時は、それでもおばあちゃんは変わらずに僕に電車グッズを買ってくれたんだ。僕が意気揚々と電車の話をするのも、変わらず優しい笑顔で聞いてくれる。僕のことを理解してくれるのは、おばあちゃんだけだって思ったよ。
そんな日が続いて、僕は小学6年生になった。相変わらず僕は、お父さんとお母さんに隠れて電車で遊んでいたし、学校ではイジメが続いていた。けど、おばあちゃんだけが味方でいてくれるから、何とか乗り切れた。おばあちゃんが買ってくれた電車のオモチャが、僕の心の支えだって言ってもいいぐらい。でもね、電車に夢中になりすぎて、テストで赤点ばかりになっちゃったんだ。でも赤点をとっても、補習を受ければ何とかなるから、今回もそうだと思ってた。けど――。
「えっ」
家に帰ると、僕がいない時間にお父さんとお母さんが、勝手に部屋に入って、押し入れに隠していた電車グッズをすべて捨てていたんだ。僕は大慌てでリビングに行った。
「ねぇ、どういうこと!?」
「いつまでも電車なんかで遊んでいるから、毎回赤点なのよ恥ずかしい!」
「電車で遊ぶことは、今後一切禁止だ!」
僕はあまりにショックで、大声で泣いた。こんな風に泣いたのは、小学生になってから初めてかもしれない。
「電車を捨てられたぐらいで、男が泣くんじゃない!」
お父さんは立ち上がって、僕が泣いている間中、何度も何度も僕を叩いた。叩かれすぎて、途中で痛みなんて感じなくなった。けど、電車を失った悲しみだけが心の底にうずくまっていて、僕は気を失ったんだ。
翌日。目が覚めると、僕は何もする気がなくなっていた。ただ悲しくて悲しくて。それだけ。ご飯も食べる気がしません。初めは「放っておけばいい」とお父さんが言っていたけど、3日が過ぎたあたりから、お父さんとお母さんは無理やりにでも、僕にご飯を食べさせようとした。けど、無理に口に詰め込まれたものは、全部吐いちゃうから意味はなかった。摂食障害っていう病気だって、後から知ったよ。
体重がどんどん減っていき、食べないと死んじゃうと言われたけど、僕はどうでもよかった。お父さんとお母さんは、取り繕うような笑顔で僕に「また電車グッズを買ってあげるから」って言ったけど、欲しいとも思わなかった。
そしてさらに体重が減り、僕は入院した。点滴をしないと死んじゃうって言われたけど、別にどうでもいいから点滴を拒否した。そしたら、病院の先生が、お父さんとお母さんは僕と距離を取った方がいいと言って、面会させなくなった。その代わり、僕の元におばあちゃんがやってきた。
「ごめんねごめんね。私が電車はダメだって言えばよかったね。私が電車グッズを捨てるのを止められればよかったのにね。本当にごめんね」
おばあちゃんは、僕のところに来るたびにそんなことを言って泣いていた。入院して半年。その間僕は誰とも話をしていていない。だけどおばあちゃんは変わらず面会に来てくれてる。
「おばあちゃんね。あんたが電車の話をしているのを聞くのが好きだったんだ。あんたがあまりにも楽しそうに話すからね」
その言葉を聞いた途端。身体は動かないのに涙が出てきたんだ。そして、僕はようやく声を出したい気持ちになった。
「おばあちゃん……また電車の話、してもいい?」
久しぶりに出した声は、たどたどしかったけど、僕の声を聞いたおばあちゃんは目を大きく見開いて、泣き出しちゃった。
「あぁ、あぁ、もちろんだよ。おばあちゃんに、電車の話聞かせておくれ。それにね、辛い時は泣いてもいいんだよ」
そう言われて僕は、おばあちゃんが買ってくれた電車グッズを捨てられたことが、悲しかったんだと、ようやく気付くことができた。そして僕は久しぶりに、おばあちゃんに電車の話をしたんだ。おばあちゃんは泣いたままだったけど、でもやっぱり優しい笑みを浮かべてる。僕はおばあちゃんが大好きだよ!
それから、周りが少し騒がしくなった。入院して半年ぶりに僕が声を出したんだから。それから、おばあちゃんは僕に面会に来る時に、新しい電車を買ってくれたんだ。それはとてもキラキラしてて、今度こそ大事にしようと思った。けど、お医者さんがお父さんとお母さんからも、電車のオモチャを預かってるよと言って渡してくれたんだけど、それは触る気にもならなかった。僕は、おばあちゃんが買ってくれた電車があればそれで十分だから。それに、おばあちゃんが毎日面会に来てくれて、電車のオモチャを持ってきてくれたり、僕の話を聞いてくれるから、僕もおばあちゃんの期待に応えないといけないって思ったんだ。そのためには、ちゃんと食事をして体力をつけて、勉強をしないとね!
その頃から、僕は電車の運行のように、時間を決めて勉強をした。おばあちゃんが買ってくれた電車のオモチャは、病室に僕だけになると話しかけてくれるんだ。
「勉強、もう少し頑張ろう!」
「おばあちゃんのために頑張ろう!」
「毎日勉強してえらいね!」
色んな言葉を投げかけてくれる。まるで、おばあちゃんみたいだ。
そうやって過ごして、僕は中学校2年生の年齢で退院をすることができたよ。今では電車も勉強も好き。勉強もすごく頑張ったから、学年で10番以内に入ったんだ。おばあちゃんは、「すごいすごい!」って褒めてくれた。僕、おばあちゃんがやっぱり大好き!
中学校にも少しずつ行くようになった。友だちはできなかったけど、特に気にならなかった。小学校の時のようにいじめられているわけでもないし。ただ、お父さんとお母さんとは、どうやって話をしたらいいのかは、いまだにわからない。でも別に、良いかなって思ってる。
あっ、そうそう。中学校にね、鉄道研究会っていうのがあったから、行ってみたんだ。初めはすごく戸惑ったんだけど、おばあちゃんの「辛かったら泣いてもいいんだよ」という言葉が支えになって、鉄道研究会の子たちとも話せるようになった。でも不思議なことに電車だけじゃなくて、他の事にも興味を持てるようになったんだ。その中でね、気の合う友だちができたんだよ。その子も電車好きで、きっちりしてて、しっかり者。
「なぁ、一緒の高校に行こうよ」
そんな風に僕のことを誘ってくれたんだ。僕、その言葉がすごく嬉しかった!
僕はおばあちゃんのおかげで、脱線したレールから元のレールに戻ることができた。何か起きても、おばあちゃんのあの言葉があるからもう平気。それに、今の僕には友だちがいるし。
おばあちゃんには、まだまだ元気でいてほしいけど、僕はもうおばあちゃんに頼らなくても一人でも歩いていけるよ!
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