第一章

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「うっす」 「おはよ」  石川がいつものように僕の前に来た。  石川はクラスで一番仲が良い。体育のペアはいつも決まって石川だし、教室では石川としか話さない。  僕は集団生活になるとストレスが溜まってしまい、具合が悪くなる。だからクラスでは石川一人と話すくらいで、他の人との通信は遮断していた。 「僕さ……生徒会副会長になった」  口を開いてから言うか迷ったけど、結局言った。  すると、石川はわざとらしくため息を吐く。 「お前さ、冗談あんま言わないけど、言ったら言ったで超つまんないぞ?」  なかなかに心に来る言葉を、容赦無く突き立ててきた。 「ていうか、騙すんならもっとこう、リアリティのあるもんにしろよな?」  それだけでいいのに、石川の口は止まらない。 「ただ笑わせたいだけなら白砂に告った……とでも言ってくれないと…………な」  石川はこねくった。  だけど、僕の顔を見て、アメリカ人のような手振りを徐々に小さくし「まじ?」と聞いていきた。  何一つジョークなど言っていない。だから、顔色ひとつ変えず、「うん」と返す。 「⋯⋯何でそんなことになったんだよ」 「僕もわからない」  僕の返答に石川は納得のいかない表情を浮かべる。  でも、これ以上は説明のしようがないのだから仕方がない。  すると、ホームルームのために米村先生が教室に入ってきた。  先生を見て、男子たちが「今日も可愛い!」「俺とデートして!」などと、冗談混じりに叫び始める。それに重ねて女子たちが「男子キモい」「男子うるさい」などという大半が冤罪の罵声を飛ばした。  先生はそんな言葉たちを無視し、僕を見るや、腿元で小さく親指を立て、なぜかドヤ顔をしてきた。 「⋯⋯あの人のせいか」 「そういうこと」  石川にとっては米村先生という存在だけで、僕が副会長になる理由としては十分だったようだ。  理由はわからないが、僕は米村先生から好かれている。  先生が僕に話しかけなければ、たとえ担任でも僕と先生が関わることはなかったんだ。なのに先生は僕に関わろうとしてくる。だから顕著に嫌だということを、先生に僕は出していた。そんな様子を近くで見ていることが多い石川は、何となく無理やりだったことを察したようだ。  2  昨日に引き続き、またこのドアを開けなければならないとは⋯⋯。  生徒会は部活との両立が厳しいと言われるけれど、二日目にしてその理由が理解できそうだった。  これを一人で回せるというのは、やはり白砂が天才だからだろうか。  肉体的にはそこまで疲れていないけど、精神はすでに参っている。理由は二つ。 「どうしたの? 入ろ?」  一つ目はこの女子。女子というだけで精神が擦り減る。  僕は「ひっ」っと短く情けない声を挙げてしまった。  声色でわかる。  後ろを振り向くと言わずもがな、白砂がいた。白砂は僕の驚いた顔を見て、「変な顔」と言って、微笑した。でも馬鹿にしている素振りは一切なく、素で笑っているのが見てとれた。だから嫌な気分にはならなかった。それでも、やっぱり疲れる。  二つ目は、生徒会役員という肩書きだ。今は何もないが、今後の行動に制限がかけられそうな気がして、それだけで胃が痛くなってくる。  *  今日の昼休みに白砂は突如、僕の教室に現れて「新くーん」と呼んできた。  当然クラスはざわつく。  あの学校のマドンナが取り柄のない僕の名前を発するのだから当たり前だ。  皆の視線は僕に集まる。だから僕は小さくなりながら白砂の元へ向かった。 「何だよ」 「なんかちょっと怒ってる?」  ああ、怒っている。  主に二つ。  僕を生徒会副会長にした経緯を未だにしっかり話さないことと、僕をクラスで目立たせたことだ。  目を合わせない僕に白砂は覗くようにして、無理やり視界に入ってくる。  仕方なく僕は前を向いた。やっぱり可愛い。顔が赤くなっていないか心配だったから、今すぐにでも離れたい。 「ごめんね。私も悪いと思ってるんだ。なるべく仕事は私が頑張るからさ」  そういうことじゃない。 「いや、いいよ。一応副会長なんだ。できるだけ僕も手伝うさ」 「ほんと?」 「ああ」 「ありがと!」  何がそんなに嬉しいのだろうか。彼女の大袈裟な笑顔は違和感を感じる。  多分、僕だからそう見えるだけだろうけど――。 「じゃあ今日、生徒会室来て欲しいな」 「それだけ?」 「うん!」  僕はすぐ席に戻った。 「副会長になれてよかったな」  石川は僕を揶揄うようにして微笑んだ。  可愛い人と接点を持つためだけに一年縛られるなんてごめんだ。本当にそう思っているなら、今にでも代わって欲しい⋯⋯。  *  生徒会室に入った後、白砂から部活動改革案と書かれた二十ページほどある冊子を渡された。  変更したほうが良い箇所があったら教えて欲しいとのことだ。  クリップで止められた簡易なものだったけど、文字の量から彼女の努力が見てとれた。  僕がソファでそれをペラペラ捲っていると、彼女は昨日と同様に学校から支給されたタブレットを見ながら、ペンを走らせる。同じクラスになったことがないから知らなかったけど、眼鏡をかける彼女はまた違う綺麗さがあった。  それにしても良くできた内容だ。進学校であるこの学校を部活動でも有名にするための改革案。  当然だけど運動部の内容が多く、なぜかバレー部が特に手厚かった。 「えーっと」  読書を常日頃しているからか、早々に読み終わって、白砂に声をかけようとした時、口が止まる。  彼女の名前を口にしたことがなくて、篭ってしまった。 「唄でいいよ。どうしたの?」  彼女はそれを察して、ファーストネームで呼ぶように言ってきた。 「⋯⋯白砂、一応読み終わった」  彼女はこちらを見て、何やら不満そうにしていたから何だよ、と顔で返した。 「読むの早いね。あと、一年間も生徒会としてやっていくんだから唄って呼んで」  白砂は語尾を強調して言った。  眉間に皺を寄せ、怒っているつもりなのか。正直、生徒会長にしては威厳のようなものが足りない。 「たった一年の仲だよ。その後はもう話さないだろうし」  僕と君では住む世界が違う。 「……それでもいいから唄って呼んで」  言葉まで通じないのか。  納得のいかない様子の唄は声色を少し暗くして、意見を曲げない。僕の力では白砂の意見を変えることはできない。 「……わかったよ、唄」  意外と頑固な彼女に僕はすぐ折れた。  女子を下の名前で呼ぶのは慣れていなかったから、うまく言えているか分からない。  彼女は僕が呼んだ名前に満面の笑みで返してきた。綺麗な顔は笑ってもやっぱり整っていて、また見惚れてしまう。 「それで、どうしたの?」 「あ、読み終わったよ」 「それは聞いたよ?」  唄はクスッと笑って、 「どうだった?」  今度はお姉さんのような表情に変わる。  僕は所々にマークをつけた冊子を彼女に渡した。 「内容的にはいい感じだと思った。ただ文武両道を掲げるのってそんな簡単なことじゃないから大変だとは思う。  現実的に一年を通して、全部活県大会ぐらいなら全然あり得ると思ったかな。中学に比べて高校の県大会はハードルが下がるしね。  弓道部は練習スペースの確保が難しくて質の良い練習できていないから、場所を決めてあげたほうがいいかな。  ちょっとサッカー部が面積取りすぎかな。うちの学校は野球部も陸上部もあるから校庭を使う部活の割合をもっと見直したほうがいいと思う。  外部の練習場所の活用もありだね。あと、バレー部だけ異様に改善点が多い気がするんだけど……」  僕の説明に彼女は口を開けて、こっちを見ていた。聞いているのかいないのかわからない阿呆面。 「な、何だよ」  僕の言葉を聞いても、唄は反応を示さない。だから「大丈夫?」ともう一度呼んだ。 「あ、いや、乗り気じゃなかった割にはちゃんと見てくれてたんだなって」 「やる気ないままの方が良かった?」 「全然全然! ありがと」  いつでも明るいその表情は、あざといと言えばそうなのかも知れない。だけど彼女の人当たりの良さがあったから、プラスにしか感じなかった。元々、人伝いにしか聞いていなかった彼女をここで初めてちゃんと理解することができた気がする。  その後も改善点を挙げ続けた。  別にこの学校がどうなろうと知ったことじゃないし、普通に生活できればどうでもいいと思っている。  でも、やることがなくて家で待つ人が誰もいない僕にはいい暇つぶしになった。  僕のそんな考えを彼女は一切知らないし、こんな希望に満ちた目で聞かれたら、こんな僕でも応えざるを得ない。 「――こんなとこかな」 「思ってたより、酷かったなぁ」  僕が主体でこんなに話したのはいつ振りだろう。僕らしくない気がして、もうあまり話したくなくなった。僕らしいが何なのかは知らないけど、人と話しすぎるのは良くない。  それだけは常に頭の片隅にあった。  だからこの行動は僕らしくない。 「多分、普通の生徒会ならなんの文句も無しに通ってたと思うよ」  ため息を吐く唄を見て、僕は慰めの気持ちで言った。  それも彼女は素直に受け止め、また「ありがとう」と微笑する。  家に着いて、誰もいないと分かっていても「ただいま」と呟いた。暗い家はそれこそもぬけの殻で冷たく、何だか寂しく感じる。いつも通り、そんなの今更だ。  いつものように真っ先に僕は一人で満面の笑みで笑う兄の写真に手を合わせた。
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