第一章

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 僕の兄である新一は知らない子供を助けるために実弟の僕を残して、命を捨てた。  交通事故だったらしい。その時、僕は家で新一の帰りをずっと待っていた。だから警察からの電話で僕はその訃報を知る。聞き返すことすらできなかった。  小さな手で持つ受話器はとても重くて、床へ落として、壊してしまった。  両親はその何年も前に僕と新一を残してどこかへ行ってしまい、兄の家族は実質、僕しかいなかった。  だから翌日になって、幼かった僕に相手の親は何度も「ありがとう」と言ってきた。  いくら泣かれても、感謝の気持ちを並べられても、兄は帰ってくるわけじゃない。そんな意味のない言葉を言うのなら、来ないで欲しかった。無駄に思いださせて欲しくなかった。  僕はその場でポロポロと涙を流した。  相手はそんな僕を見て、同情するかのように抱きしめてきたけれど、誰のせいだと怨恨が募った。性格がひん曲がっているのは自覚している。でも僕はそう思うことしかできなかった。  僕は兄が大好きだったのに――。  僕が新一の写真に手を合わせているのは生き方を間違えないためだ。  人のために命を投げ出して、自分が死んでは元も子もない。  新一は人に立派と言われるような人だったのだろう。それでも新一は死んでしまったんだ。  だから僕は新一を見て、新一のようにならないと決心した。  僕は人のために自分は犠牲にしない。  あの日からずっとそう心に決めていた。  *  寝る支度を済ませて、何となくスマホを開くと、USが生配信をしていた。唄が画面の奥にいると思うと、いつもなら躊躇なく押す再生ボタンが押しづらい。  見てはいけないものを見ようとしているような背徳感。でも、その奥からいつも以上に好奇心が湧いてきた。  視聴者数は常に五千ほどで、僕が入ったことに気がつくはずもない。  声を聞くと、唄だというのが明らかだった。  胸から下だけを映し、首からはあのペンダントを提げている。  配信場所は部屋なのか、白い壁を背景に白いベッドがうっすら見えた。  USはリクエスト曲をアカペラで歌って、気に入らないと、そのフレーズを反復する。そんな生配信でやっぱり新鮮味のない、いつも通りのUSだった。  歌手として練習は欠かせない。自分に厳しくするために、生配信でこういうことをしているんだろう。  他には質問に答えたりもしていた。 <どこ住みですか?> 「日本!」 <何歳ですか?> 「高校生だよ」 <兄弟はいますか?> 「どっちだと思う?」  愛想は良かったけど、どこか白砂唄とは関連づけたくないような、全てがそんな返し。USはとことん私情を隠していた。  踏み切った質問が多くなってくると、練習再開と言って、質問コーナーを打ち止めにする。  気がつくと時刻は一時を回っていて、USは最後に自分のデビュー曲『ありがとう』を歌いはじめた。  『ありがとう』というタイトルを初めて見た時、センスがないと思った。ありきたりで誰でも歌っていそうなつまらないタイトル。『ありがとう』、曲と検索したら永遠にスクロールできそうだ。そんなタイトルは僕にとって惹かれる要素が何ひとつなかった。USの曲の中で唯一、腫れ物のようにして聴かなかったそれを、僕は初めてフルで耳にした。  やっぱりUSの高い声は聞きやすくて、スッと耳に入ってくる。  優しい彼女だからこの歌声が出るのだろうか。  高い声を武器にするアーティストは、たくさんいる。だけど、いつもどこかに棘があって、高音のアーティストが好きになれなかった。  USの高音は耳に当たる時に優しくて丸い。だからずっと好きだった。それは彼女がカバー曲の投稿をし続ける歌い手の時からで、僕はいわばUSの古参だった。  3  次に唄に会ったのは二日後の金曜日。  職員室でばったり会って、僕たちは流されるように生徒会室に入った。  僕たちの共通点はそれしかないのだから自然といえばそうなのだろう。  特に話すこともなく、僕はいつも持ってきている小説を開いた。  特別好きといわけではない。でも現実を忘れられるから、なるべく小説の世界観に浸っていたかった。ミステリーでもなく、サスペンスでもなく、恋愛小説。恋愛小説は静かに進んでいく。切なくても、一方向な恋でも、遠距離でも、それは変わらない。最後はバッドエンドか、ハッピーエンドか。どちらでも静かに感情移入できる恋愛小説が良かった。  唄はノートを開いて、タブレットで何かを打っては、ペンで何かを書いていく。  高校生はシャーペンをよく使うが、彼女はなぜかボールペンを使っていた。  消せないし、滲むことが多いし、 「なんでボールペンなの?」  特に意味はなかったけど、聞いてみた。 「意味なんてないけど、ただ音と書き心地が好きなんだ。たまにハズレがあるから、その時は萎えちゃったりもするよ」  彼女がボールペンを使うのにも大した意味はなかった。  唄は僕の質問に顔をあげ、垂れた黒い触覚を耳に掛け直す。眼鏡をクイっと奥に押し込んで、首を傾げた。  その行動にも特に意味はないんだろう。  でもその一つ一つの仕草を、逐一目で追ってしまっていた。 「眼鏡の度、強いんだな」  また意味のない質問をした。  縁が金属でできたカチャカチャと音がする丸眼鏡。  やけに目が大きく見えた。 「あ、ああこれね。ちょっと昔ね。あ、そうだ。昨日生配信してたんだよね」  唄は濁して、話をすぐに変えた。  どこか触れて欲しくなかったんだろうか。  それよりも僕はその後の発言に驚いて、彼女のことを凝視してしまった。てっきり唄はUSの話をあまりしたくないんだと思っていたから。 「そ、そうなんだ」  知らないふりをした。  唄の秘密を一つ知ったからと言って、急に馴れ馴れしくして、地雷を踏みたくはない。 「見てたのかと、思ったのになぁ」  唄は残念そうに言って、僕に手招きをする。大きな会長机に座る唄の目の前にいくと、唄はノート前に出した。  泡のようにすぐに弾ける。  君に会いたい。  あなたの笑顔を追いかけたのに。  助けてくれた君はもういない。  ポエムのような、短調で不可解な文を僕に読ませてきた。  どこか寂しげな文字列。どこを探してもその文字はハッピーエンドを迎えない様に見えた。 「このノートは私のアイデア本なの。こうやって自然と出てきた言葉を書き連ねて、曲に使えたらいいなって」 「何でそれを僕に言うの?」 「理由ってそんなに必要?」  人の行動には意味がある。真意がある。裏がある。そんな甘い世界じゃない。正直者は馬鹿を見る。だから中身を知りたい。でも、それを言ったら引かれる。 「確かに、そんなことないよね」  「昼間はこうやってアイデア出して、夜は歌の練習してるのね。それで一人だと甘えちゃうからYouTubeファンの方に向けて生配信してるんだ」  知ってる。僕はカバー曲時代からのファンだから。 それを言いたい気持ちをグッと堪える。むず痒い心を必死で隠して、「それで?」とスカすように返した。 「夜、BGMとしてでもいいんだけど、もちろんアドバイスも欲しいんだ。それでできれば新くんに聞いていて欲しい」  真顔でノートを見る僕に、唄はそんなことを言ってきた。 「何でだよ。リスナーの方が唄のことわかってるだろ?」 「まあ、そうなんだけど。やっぱり楽しく歌いたいじゃん? だからこういうの頼める人探してたんだ」  リスナーの中には厳しい評価をしてくる人もいるということなのだろう。それで気にしちゃって楽しく歌えないということなのか。  普段、歌を聞きに配信に入るから、コメントとかはあまり見たことがない。歌手の事情はよく知らないものの、言いたいことは何となくはわかった。 「一人で歌えばいいじゃん」  僕は唄を拒むように冷たく返した。 「もしかして、母親とかにバレたくないみたいな感じだったりする? 異性と話してるとこ見られたくないよね。ごめんね」  こういうのは慣れているからキレたりはしないけど、唄の違和感が拭えない。人のことを気にかけているような素振りを見せるくせして、どこか無神経で。  もちろん親がいないことを唄には言っていないのだから、気にするのは無理な話だとは思う。でも、やっぱり彼女は無神経な気がした。 「そんなんじゃないよ。わかった。いいよ」  僕は少し不貞腐れた表情をした。だけど今度の唄は僕を一切気にせず、「やった!」と一人喜ぶ。  やっぱり、唄の感情変化がイマイチ読み取れない。 「今日からいい?」 「うん」 「LINEやってる?」 「まあ一応」  スマホを出して、唄に手渡した。 「私がやっちゃっていいの?」 「見られて困るもんないし」  LINEの友達の数は四人。石川、石川の妹、兄のUNKOWN、毎週寄っている本屋の公式LINEだけ。  唄はやけに長く僕のスマホを触っていたから「まだ?」と聞くと、「もう少し」と言ってから、少しして返してくれた。 「検索欄、何もなかった」  不満そうに唄がこちらを見てきた。 「何もないって言ったじゃん」  それから唄は自分の作業に戻って、僕も小説の世界に入る。  唄は自分のセカンドシングル『君となら……』を鼻歌で奏でながらノリノリだった。  4  学校を十九時に出て、家に帰ったのは二十時。風呂に入って、夕飯を食べているとLINE電話がかかってきた。画面には唄と表示されている。名前の両隣には音符が付いていた。今から電話する相手はUS。それ以前に女子。女子からの電話なんて何年ぶりだろうか。何なら連絡事項以外で女子からかかってきたのは初めてかもしれない。  汗ばむ指で電話に出た。 「あー出た出た。今、平気?」 「うん」  僕の言葉に唄は喉を唸らせてから、歌い始めた。特に前ぶりはなく、唄も電話に慣れていない? というのが第一印象だった。  意外にも唄自身も男子とあまり関わってこなかった。なんていうことがあったらいいなと、夢物語を頭で展開した。実際はモテるだろうし、過去に彼氏だっていたはず。なんなら今もいると考える方が自然か。  最初の曲はback numberの『水平線』。  僕は米と味噌汁を交互に含みながら、唄の曲を聞いていた。少し前にカバーで歌っていたのを知っている。だからそれと較べるように聞いた。上手くなっているのかは分からない。でも、こんなに練習しているんだから本人の中では違いがあるのだろう。  その後も唄は何曲も止まらずに歌い続けた。僕は歯磨きをしたり、宿題をしたり、爪を切ったりしながら唄の言った通りBGMとして聴いていた。寝間着に着替えて、今日帰りに買ってきた本を手に取った。  唄は生配信の時とは違い、歌い直したり、声の調整などはせず、根気も入っていないように感じた。言ってしまえば、口ずさむくらいのボリューム。手を抜いているとも言えるかもしれない。  アドバイスを欲しいとは言っていたけれど、これくらい気楽に歌っている唄の方がいつもの配信より好きだった。USとしてじゃなくて、唄として歌っているような気がした。何なら唄でもないどこかにいる本当の唄が歌っているような――。  自分でもよくわからなかったけど、そう感じたからこの歌の邪魔をしたくはなかった。 「もう寝る?」  本を読み終わって、歌が終わるタイミングで話しかけた。すでに時刻は0時を回っている。明日は用事がなかったから、別に寝なくてもよかった。 「もう眠い?」 「まだ眠くないけど、夜更かしは良くないし」  小説のページによってはキリが悪くて、寝れないなんてこともよくある。だから夜更かしなんて慣れていたけれど、寝る口実として時刻を使った。 「じゃあ、あれしようよ。寝落ち電話!」 「嫌だよ」  当然、女子と寝落ち電話なんてしたことがない。寝落ちでも話がなくなって無言になった時の気まずさが怖かったし、何より僕みたいなのが、唄のような才能の塊と一緒にいると有用な時間を奪う気がして、申し訳ない。でもやっぱり一番はこれ以上深く関わりたくなかった。 「えー」  そんな僕の気持ちなど汲み取らず、唄は残念そうに言った。  唄の漏らした不満がチラチラこっちを見ているようで、心地が悪い。 「……いいよ」  何言ってんだ、僕は。 「どっちよ」  唄の声は嬉しそうだった。でも今日の生徒会室にいる時ような、大袈裟な喜びは感じない。それから唄は寝る支度を十数分で済ませ「お待たせ」と戻ってきた。 「寝落ち電話したことあるの?」  僕は電気を消して、布団に潜りながら唄に聞いた。 「そんなことする友達いないよ」 「友達ならわんさか湧いてくるでしょ」 「全然いないよ」  僕は知っている。唄の周りには常に人がいて、唄は笑っていた。窓から外を眺めると体育をしている唄がいて、五、六人で体育の時、鳥籠をしている。僕が石川といると、唄は対照的に大人数で話している。しかもいつもの中心にいる。  唄に友達がいなかったら、あの周りの人物は何なのだろうか。  *  そういえば、昨日だったか、一昨日だったか、僕は唄とすれ違っていた。そう、すれ違っただけだ。  妙に陽キャたちの機嫌が悪く、逃げるように僕と石川は教室を出た。  その時、五人くらいの中心に唄がいたんだ。僕は気づかないふりをするために石川の目から視線を外さなかった。 「な、何だよ」  石川は僕を気持ち悪がったが、そんなものは痛くも痒くも無い。石川に気持ち悪がられることなんかより、遥かに嫌なことがあったからだ。 「あ、新くん!」  唄は僕に気がついて名前を呼んだ。  最悪。  僕が無視をしたら「無視しないでよ」と言ってきた。石川は僕の先の行動に理解できたのか、卑しい顔をしてくる。  唄の取り巻きのことを考えると、それ以上無視するのは唄の立場を危うくしかねないと思い、「うん」と返した。  彼女は僕の目を見て、コクっと頷いて、たったそれだけの会話で唄は僕の前から去っていった。会話というのすら烏滸がましい。  あの後、あの子誰? 知り合い? なんて言葉が聞こえた気がする。  ――だから嫌だったのに。  * 「新くんいつも一緒にいる子いるよね?」 「石川のこと?」 「そうそう! ああいう唯一無二の友達いいよね」 「そんなんじゃないよ」  こんな何気ない会話が続いた。他にもクスッと笑うくらいの、微笑するくらいの、僕にとっては心地のいい会話が止まらなかった。  唄も今こうしてベッドの中で話しているのかな。なんて気持ち悪いことも考えた。だから男はチョロい。身をもって感じた。  結局三時まで話して、唄は寝落ちをした。寝息は聞こえるものの、鼾は聞こえず、寝ている時も唄は唄のまま消えない。僕の理想の唄は学校にいる時の唄で、それはどこでも変わらなかった。それから三十分して僕も寝た。  土曜日も日曜日も同じ時間に電話がかかってきた。唄は決まって最後に、自分のファーストシングル『ありがとう』を歌う。唄の歌っている顔はいつも見えなかったけど、どこか悲しげに歌う『ありがとう』という曲。  意味がわからない。  僕の中では一番適切な表現がこれで、この言葉がマッチする歌い方に感じた。 「なんでありがとうなのにそんな悲しそうなんだよ」 「え? そう聞こえてた?」  唄は気づいていないようだった。  その悲しげな歌詞に被さる泣きそうなほどか細くなっている声に。  それでも綺麗だったから、わざとそうしていても全然違和感はないし、テクニックだよ、とでも言えば、疑うのはプロの中でもごく一部なんだろう。 「……何でもない」  これ以上詮索してはいけない気がした。 「今日も寝落ちするのか?」 「うん!」
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