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1-1
世界は変わりつつあった。
常識や科学では説明の付かない、おどろくべきニュースが毎日のように話題になり、警察も頭をかかえるような迷宮入りの事件は、ひそかにその数を増やし続けていた。
変化は人間の内側から起こっていた。が、その事に気づいているのは、まだごく限られた者たちだけだった。
その時、学生たちは春休みの最中だった。桜の花も咲き始めたものの、ここ数日天気は悪く、その日も冬に逆もどりしたような、寒い一日だった。
「あっ、英雄っ!」
夕方のスーパーマーケットの中で、ポニーテールの活発そうな少女が言った。
「英雄、ひょっとしてあんたも晩ごはんの買い物? へ~え、めずらしいじゃん」
少女は買い物中の一人の少年に向かって、小走りで近づきながら言った。英雄と呼ばれた少年は、むすっとした顔を少女の方に向ける。ぼさぼさ髪で目つきのするどい少年だが、背は低く、少女を上目づかいでにらむようにして言った。
「恵かよ。でかい声で……。春休みだからな。父さんはふつうに仕事あるし」
この二人、日比野英雄と出雲恵は幼なじみだ。「えいゆう」ではなく「ひでお」、「めぐみ」ではなく「けい」と読む。二人は同い年で、この春、市立の同じ中学校に入学するのだ。
彼らがいっしょにすごしていた時間は長かったものの、二人の性格や家庭環境は、かなりちがう。英雄は物心付くか付かないかのころに母親を亡くしており、彼と父親だけの二人暮らしだった。一方、恵の家は大家族で、共働きの両親の他に、弟が二人と妹が一人、それから祖母がいっしょに住んでいる。
「何買ったの? おそうざい?」
恵は興味しんしんといった様子でたずねるが、英雄は突き放すように言う。
「な……、なんだっていいだろ? いちいち……、おいっ、カゴ、のぞくなよっ!」
「ふむふむ。人参、じゃがいも、玉ねぎ、鶏肉、と来れば……。なるほど、カレーだ!」
「悪いかよ。っていうか、まずカレーのルーの箱があるし」
英雄は不きげんそうに言ったが、恵はまったく気にしない。
「ひょっとしてっ、英雄が作るのっ? へ~え! えら~い! 孝行むすこなとこあるじゃん!」
「うっ、うるせえなあっ……! 春休みだからって言ってるだろっ」
「玉ねぎはね、最初によく炒めておくとおいしいよ。こげないように注意してね。鶏肉の皮は取りのぞいた方がヘルシーだよ。あっ、トリをトリのぞくって、しゃれじゃなくて。ルーを入れる時は、いったん火を止めてから入れるの。かくし味には……」
「うっせえってばっ……! おせっかいすぎるんだよ、お前はっ!」
英雄が荒っぽく言うと、恵は顔をふくれさせて言った。
「あ~。何、その言い方。あんただっておいしいカレーが食べられる方がいいでしょ?」
うん、それもそうだな。ごめん。かくし味って何? ……と、そんな風に素直に言えればいいのだが、日比野英雄にはそれができない。彼はくちびるを引き結ぶと、だまったままくるりと向きを変えてレジへと向かった。
一方、英雄にそんな態度を取られて、出雲恵の胸の内も、おだやかではなかった。
(……何さ、英雄ってば。無視することないじゃない。まったく子供なんだから。……でも、悪いのはわたしか。こういうとこ。すぐ上から目線で……。ああ、もう……、なんだかなあ……!)
と、その時だった。ビュオッと大きな音を立てて、突然スーパーの中に風が吹き荒れたのだ。
「キャッ……!」
恵がさけび終わるか終わらないかのうちに、風はやんだ。が、店の品物があちこちで落ちたりたおれたりして、客はまだ身をすくめている。英雄と恵は、思わずおどろいた顔を見合わせていた。
「びっくりしたねっ……! 外、風強いのかな?」
恵は英雄のそばにかけ寄りながら言った。英雄はレジの列に並びつつ、顔をそらして答える。
「……さあね。ドアが開いた感じはしなかったけど……」
「え……。じゃあもしかして……、超常現象ってやつっ? 最近、変なニュース多いじゃん? 空からカエルがふってきたとか、真冬に桜が咲いたとか……。今のもそういうのと、同じってこと?」
「……さあな……」
二人ともどことなく不気味なものを感じて、会話はそこでとぎれてしまった。二人は同じレジの列に並んで、あれこれもやもやと考えながら、列が進むのをだまって待った。
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