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天使の逆襲
それは突然のことだった。ルーくんにお礼を言って陽斗を引き取ろうとした時にパタリと陽斗が倒れた。
ルーくんが咄嗟に抱きかかえて、道に転倒することはなかった。
「陽斗!」
「いきなり寝落ちしちゃったみたいですね」
違和感はあるが、戸惑ってはいられない。
「すみません。ここからは私だけで大丈夫ですから…」
「脱力した子どもは重いですよ。僕が家まで送ります。ハルくんのお家の場所はハルくんから聞いて知っていますから」
ルーくんは陽斗をおんぶして家の方向に歩き出す。陽斗にはやたらと自宅の場所を教えるものではないと教えなくてはならない。
「すみません。でも、申し訳ありませんからもうここまでで…」
「いいから、いいから。ほら、ドアを開けて」
ズンズン進むルーくんは門扉を開けて待っている。戸惑う間もなくドアが開いた。
「葵、遅ぇーよ」
弟の傑が不機嫌な顔でドアを開け、ルーくんに驚いた。
「あ、陽斗? すみません、弟と姉がご迷惑をかけて」
「陽斗くんを寝かせたいから家に上げてもらえるかな」
「え? あ、はい」
戸惑う傑に首を振る。上がり框のところでルーくんを止めたようだ。
「ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
手を伸ばした傑が尻餅をついた。ルーくんがしゃがみ込み何かをしている。
「何しているんですか」
後ろ手に縛られ、猿ぐつわされた傑に全身の毛穴が開く。ポケットに手を入れた。
「玄関を閉めて」
命令口調。ルーくんはニヤニヤ笑っている。
「葵ちゃん、弟たちを助けたければここで服を脱いで」
傑の目が見開かれる。ルーくん…、この男…、私のストーカー?
ルーくんは陽斗の喉元に手をかけながら尚も言う。
「聞こえている? ほら、脱いで」
コートを脱ぐと黒のタートルネックとパンツになるが、尚も促される。タートルネックとパンツを脱ぐとスポーツブラとショーツだけになる。
3月の玄関は寒い。この男が更に何を要求するのか分からない。
「お前、葵ちゃんを見て興奮すんなよっ、汚らわしい」
男は陽斗を抱えたまま傑を蹴飛ばした。
「やめろ」
私の制止に男がゆっくり振り返る。
「きれいだね。さすがは僕の天使だ」
「…私? 天使なんていいものじゃない」
男が近づいて胸元を撫でる。ザラリとした指に息が、おかしくなる。
「間に合った…、このまま永遠にきれいなままでいようね」
「何を言ってる?」
「僕はね、本当に会いたかったんだ。まあ、その話はまた後で。早くコートを着て」
男から目をそらさずにコートを羽織る。相変わらず眠っている陽斗は何をされたのだろうか?
不安から奥歯を噛みしめる。
「きれいな足だね。ふふ、こんな格好じゃ逃げられないね」
男は満足そうに笑う。下着にコートなんて変質者みたいだ。そう思うと頭の中が沸騰しそうになる。
「じゃあ、行こうか」
傑が男の足に体当りした。怒った男が傑を踏みつけて、腹を蹴る。
しゃがんで私の反対方向に陽斗を置き、傑のズボンを脱がし始めた。傑は真っ赤になって抵抗する。膝辺りまで脱がして自力で動けなくするつもりなのだろう。
男がボクサーパンツに手をかけた時、少しずつズラしていた立ち位置から思い切って陽斗を奪い、玄関を開けて逃げ出した。逆襲だ。
コートの胸元は素肌で、コートの裾からは膝上からの生足が見えている。
これじゃ変態だ。こんな格好で意識のない子どもを抱いて走るなんて、通報ものだけど、むしろ通報してほしい。
近所の人の顔が浮かぶ。高齢のご夫婦は巻き込めない。単身高齢者じゃ尚のこと。
小さな子どもも駄目だ。トラウマになるかもしれない。
コンビニ! コンビニまで走ろう。幼い頃、変質者に追いかけられて、同級生とコンビニに逃げ込んだ。今回もあいつから逃げ切ってやる!
「違うよ、こっち」
肩からつかまれて、抱き寄せられた。
「相変わらず、足が遅いね」
男が嬉しそうに笑う。
「小学生の葵ちゃんは本当に天使だった。こんなに育ってしまったけど、まぁいい。このまま、永遠にきれいなままにしてあげるから」
強い力で引っ張られる。
「行こう。僕たちの天使の国に」
午後の人気のない住宅街。目覚めない陽斗はまた取り上げられてしまった。男が向かう先にはコイルパーキングがある。
いつも、大輔さんが私を送ってくれる時に車を停めるパーキングだ。
いちご狩りに行くはずだった。大輔さんの笑顔が浮かぶ。
まだ、逃げるチャンスはあるはずだ。絶対に諦めない。逃げる。逃げてやる。
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