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猫の逆襲
青い空と海を横目に道を進むとビニールハウスが増えてきた。目的の観光農園は奥に入った場所だからかそんなに人は多くない。
ジープの助手席から降りるとくらりときた。
「大丈夫か? 酔った?」
170センチある私も190センチを超える長身の大輔さんからは小さく見えるらしい。軽々と体を支えられる。
「大丈夫。ありがとう」
…この物言い、クール過ぎたか? 大丈夫か? そんな思いが頭を掠める。
今日は念願のいちご狩りだ。あの後、薬物の後遺症のなかった陽斗はお土産のいちごを楽しみにしている。
下着をずらされるという屈辱を味わった傑だが、そのことはあまり感じていないのか、深く傷ついているのか口にしない。
「守れなくて悪かった」
きまり悪そうにそう言った。でも、私だって傑を置き去りにしている。
「いや、こちらこそ置き去りにして悪かった」
お互い罰の悪い思いをしながら謝りあった。
あの男だが、私のストーカーをしながら他の幼女にもストーキング行為をしていた。自宅には数え切れない写真やデータがあり、またそのためにいくつもの保育所や学童などに出入りしていたことがわかり、厳しく処罰され、ストーカーとして規制も受けている。
どのくらい効果があるかはわからない。しばらくは姿を表すことはないだろうし、これから一人暮らしをするアパートは警察署真向かいの蕎麦屋の隣。まず、安心だと思う。
大輔さんは警察にちょっと注意を受けたらしい。凶悪犯人だったら犯人を拘束した大輔さんの身も危うかったからだ。
柔道有段者なので本人も見極めて対応していたらしいのだが…。
健人は無事に二次試験を突破、拓海は無事に交際関係を精算、もとい一人暮らしを開始。皆それぞれ動き出している。
私と大輔さんはどうなのか。ファーストキス事件の時に高校生の間は相手にしないと宣言されていた。高校を卒業した今は? これは初デートってやつではないのか?
支払いを済ませ、2人分のトレーを持った大輔さんがビニールハウスを指差す。
「そこは3種類のいちごがあるそうだ」
「食べ比べる!」
おいおい、食い気が全面に出過ぎだろ? 初々しさはどこに行った、私。
「余り難しいことを考えるな」
食えと赤く熟れたいちごを口元に持ってきて、大輔さんはニコニコ笑う。ええいっ、いっちゃえ、私! 大きな口でぱくりと食べる。
「甘いっ」
「うん、美味いな」
指を舐める大輔さんが、色っぽい。頬がまた赤く染まる。
「これも美味そうだぞ」
また一つもいで私の口元に運ぶ大輔さん。
「一人でも食べられる」
強気のはずの言葉も何故だか弱々しい。
「かわいい」
少し離れた女性客が私たちを眺めて微笑んでいる。まさにこれ、大輔さんによる餌付けショーみたいなものだ。ちょっと落ち込む。
いや、やられっぱなしはよくない。やられたら、やり返す、やり返せ!
私の心に闘志が灯る。
「大輔さん、あーんして」
嫌がると思ったのにぱくりと私の指ごと食べた人がいた。私はゆでダコのように赤くなり、遠くで歓声が上がった。
「おい、猫、甘みが足りない」
そんな甘い声で文句言うな。くるりと背を向けて、意地でも死にそうなくらい甘いいちごを見つけようとムキになる。
今、大輔さんに献上したのは酸味のあるものだ。甘みの強いいちごの畝に移動する。大ぶりのいちごに本当に甘いのか気になって試食してみた。
「甘…」
甘すぎだろ、これ。あまりの甘さに体が震える。この異変に大輔さんが気が付かないわけがない。
「どうした、葵」
私を覗き込む大輔さんの口にいちごを突っ込む。大輔さんの目が見開かれる。
「甘過ぎんだろ」
「同感だ」
甘過ぎいちごは柔らかく、移動に耐えないらしい。ここでしか食べられない味だが、如何せん、甘過ぎる。
お土産には別のいちごを買った。腐れ縁の健人と拓海にはいちごのミルフィーユパイ。佑美には何がいいだろう?
売店でしばし悩む。
「やっぱりいちご大福だな」
私を心配してアパートに泊まり込んでくれる佑美には感謝しかない。
「あの…」
いちご狩りのビニールハウスで一緒になった人たちだ。私たちを見て微笑ましくなったという。
いちごの紅茶をプレゼントしてもらった。なんというか…、ま、いっか…。
大輔さんに渡せなかったバレンタインデーのチョコがある。紅茶と一緒でもいいかもしれない。
いや、いちご大福をまた口に突っ込んでみるか。
いやいや、いちご大福を頬張る陽斗もかわいいよな? いちご大福はもう3箱買おう。
土産選びは終わらない。
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