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恋の予感にふるえてみたい
高校3年生の3月なんてもう浮き沈みが激しすぎる。仲の良い友人たちもいろいろで、二次試験に向けて未だ勉強中だったり、一人暮らしを始めるための準備に忙しいふりして高校時代の交際相手の整理に勤しんでいたり、今更ながら進路のことで親と揉めていたり。
のんびりしているのは私だけ。という私もこの春から一人暮らしを始める予定だ。この計画は4年前から進めていたものなので抜かりはない。アパートは決めているし、親たちも了承している。いつでも移動できるように荷物だって少なくしている。
アパートは中学生の頃からお世話になっている蕎麦屋の隣だ。
『隣なら安心だからな』
蕎麦屋の若き店主、大輔さんの言葉が蘇りポッと頬が熱を持つ。手を当てて熱を冷まそうとした時に鳩尾がキュッと痛んだ。
去年、私は玉砕した。大輔さんに無理矢理キスした。いわゆる私のファーストキスだ。
だけど、その瞬間にトラウマ発動し、過呼吸と嘔吐、失神に見舞われた。ファーストキスはゲロの味…、サイアクだった。
なのに、大輔さんは変わらず優しい。私を近くにおいてくれて、一人暮らしのお祝いにいちご狩りに連れて行ってくれるという。
私が普通の女の子ならば、服に髪型、お化粧を考えてこのデートに備えるのだと思う。
ところが、私は戸惑う。女の子らしさがよくわからない。かと言って男らしくしたいわけでもない。
デートは嬉しい。でも、どんな格好をしていいのかわからない。可愛く? 格好よく?
『いいじゃん、パーカーにジーンズで。あと、おじさんに髪をセットしてもらうか、おばさんからもらったリュックを背負っていけば』
目下、一人暮らしの準備中の拓海の助言だ。
『父になんて頼めるか。何されるかわからない。フリフリの服を用意されたら困るだろ。それに母のリュックは見せたじゃないか。小さくて可愛らしくて、実用性がない。…それにパーカーにジーンズじゃ男連れに思われないか?』
『…何か問題ある?』
『…大輔さんに迷惑をかけないか…?』
私の背は170センチはある。私の見かけで男か女かヒソヒソ話されることもしばしばだ。大輔さんまで好奇の目に晒されたくない。
『大輔さんは迷惑がらないよ。どんな葵でも葵なんだから。変な気を回すことないよ』
電話の向こうで拓海がふんわりと笑った気がした。
『葵がデートにどんな格好で行こうか悩んでるだけで大輔さんは喜ぶんじゃない? 楽しみにしてくれて良かったって』
『そうかな』
『そうだよ。でも、大輔さんを襲うなよ。またゲロゲロしたら大輔さんが傷付く』
『するかよ、バカ』
健人ならば、何だよばーかって返すところなのだけど、拓海は違う。
『はいはい。じゃあ頑張って。念のため、袋は持ち歩いて。あと、興奮して鼻血出さないようにね』
『出すかーっ』
思い出してもムッとする。外で私は百面相だ。
「…!」
振り返るけれど誰もいない。私にはストーカーがいる。遠くで写真を撮っているのだ。
それが最近は少し接近している。姿は見えないが、念のため携帯電話は手放せない。GPSで私の居場所も共有してもらっている。
気にしすぎないようにしているが、やはり不安な私のために大輔さんはいちご狩りに誘ってくれた。大輔さんの優しさは…。
頭を振る。こんな男だか女だか、なんだかわからない人間、好きになってもそれは人間的な好きに違いない。
期待しない、してみたい。大きく息を吐いた。
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