その1

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 平然と入ってきて後ろ手で扉を閉めたのは、野球のでかい荷物を担いだ瀬戸内くんだった。私は息を呑んだ。彼はたしか、補習該当者じゃない。  なのに私のすぐ横で、床に私物を置き、空いていたイスに腰掛けた。ソロバンを机に取り出している。離れて座っている女子たちのざわつきが、瀬戸内くんがやってきたことでより大きくなった。 (ちょっ、部活は?!)  私がその端整な横顔に何も言えなくなっていると、今更こちらに気づいたみたいに、視線を上げてニッと目尻をすぼめたんだ。 「じゃーあ始めるぞ~」  いよいよこのタイミングで、珠算担当の前崎(まえさき)先生がプリントの束を持って入室してきた。お父さんぐらいの年齢の人で、笑うと上の中央の歯が、一本だけ黒ずんでいる。  私はあわてて荷物をまとめて、二つ窓際の席へと黙って移った。すると、瀬戸内くんもなぜか同じように移動してくる。また私は、辛うじて空いていた前の列のど真ん中へと移る。瀬戸内くんも何も言わずについてくる。 (うれしいけど困るよ!)  あやうく声に出しかけた。たくさんの人の注目を浴びて、顔に熱が集まってきている。  教卓越しの先生もあぜんとした表情で、私たちを見ていた。 「瀬戸内ィ、まーた参加しにきてる」 「どうぞお気になさらず」  きっぱりと、真っすぐな瞳で言い放つ瀬戸内くん。そうは言ってもなぁ。先生の方がぼやきながら、首の裏側を掻いている。 「君、珠算はいつ何を受けてもほぼ満点だろう?」 「補習、受けたいです。いつも何問か取りこぼしがあるので」 「野球部の柳屋(やなぎや)先生が大いに期待してるみたいじゃないか。練習行った方が、いいんじゃないの?」 「ソロバン弾いたあとなら、部活でも頭が働くんです。ぜひ、お願いします」  きらきらした目つきで、彼は折れない。女子が口々に、カッコイイ、と騒いでいる。 「というより宮元と瀬戸内。君ら付き合ってたのか」  何気ない先生のひと言により、室内が高い声で湧いた。私は机に手を着いて即座に立ち上がる。 「ちっちちち違います! 誤解なんで」 「でも、どう見ても」 「聞いてください!  だって、我が野球部は、ぶっ『部内交際』が、 禁止されてるんです!」  噛みながらも必死で言い切った。顔が熱くて、今にも倒れそうだ。  知らなかったなぁ。つぶやく先生。私たちのことはどうでもよくなってきたのか、参加者の数を指差して確認している。女子は半信半疑といった様子で振り返ったまま、物めずらしそうにこちらを見ている。  当の瀬戸内くんはウォーミングアップなのか何食わぬ顔で、一、二、三……と珠を弾き、足し算を始めている。援護は期待できそうにない。  私は電線と木の枝に面した殺風景な窓へと、顔ごと向けた。 (里商への誤解、その三!)  数多くある部活で、野球部だけは部内交際を禁止している。破ったら退部。時代錯誤もいいところ。誤解その一から三の中で、一番衝撃が大きかった。だから私は、瀬戸内くんが目の前にいても『付き合ってません!』と言い張っている。バレたら困るのは彼なので、付き合うことになった時も噂になるのを、すっごく警戒したんだ。  なのに、なんで本人は呑気にしていられるの……
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