その1

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 無人の廊下だと思っていたら、蛇口の前に人がいた。ふわふわの長い髪をした、見事なくびれの女の子だ。  私はクラスメイトでもないのに、彼女を知っていた。 (新田(にった)さんだ!)  というより同じ一年生で、新田いつきを知らない子を探す方がむずかしいと思う。  童顔だけどそこがかわいくて、オシャレで、男女問わずみんなの注目の的。卒業した中学校に、ファンクラブがあったとか。夏休みをきっかけに、モデルも始めたんだと話題になっている。  校則に厳しいこの里商で、どうやって芸能活動を認めさせたのかは謎だけれど。私は視界で、くの字を描く脚や、前髪を風に吹かれながら窓の遠くをながめる姿に、不覚にも見とれていた。  新田さんは私に気づくのが遅れた。こちらを一瞬鋭い目つきで振り返ると、手の甲でまぶたをなぞり、うつむいていた。 (今、泣いてなかった?)  話したこともないのに、ストレートに聞くのも、無粋な感じがする。 「えっと」  私は言葉に詰まった。続きを何て言う? 何も見なかったふりで『水道、使わせてね!』。よし、優等生すぎるけれどこれでいこう。  つくり笑いで前に進もうとした。すると、 「野球部でマネージャーやってる一年って、あんた?」  新田さんの方から私に、質問を投げかけてきたんだ。 「ハイ?」  私の口からは、肯定したような、聞き返したような、中途半端な返事が零れた。とまどって石化している間にも、新田さんはつかつかと歩み寄ってくる。 「もしかして補習、サボリ? 私といっしょじゃん」  おちょくるような、気ままな口調で、彼女は言う。私はアハ、アハと、とりあえず笑っておく。  この子だったんだ。前崎先生が補習を始める前『来てないんだよなぁ一人。単位、どうするか』とつぶやいていた。 (なんだか、仲間だと思われてるっぽい?)  内心は複雑だったけれど、新田さんは徐々に明るさを取り戻しているみたいだった。よかった。 「宮元」  安心したのも束の間、背後から低い声で呼ばれ、私はとっさに振り返る。 「うわあ瀬戸内くん! びっくりしたなぁもう」 「宮元が退室してからずっと、ついてきてたけど?」  ってまた、何食わぬ顔つきで笑んでいる。憎めない! 幸せの波が押し寄せてきて、頬が勝手にゆるんでくるよ。  でもふいに、新田さんの反応が気になった。私はすぐさま身体の向きを入れ替える。
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