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 城田と仲良くなるにつれて、彼はさらに詳しいことを話してくれるようになった。悪魔が最初に彼のもとに現れたのは数年前、彼が交通事故で生死をさまようほどの大怪我をしたときだった。夢か現実かも定かではない曖昧な意識の中、悪魔が現れて彼に取り引きを持ちかけたのだという。「もしこの先ずっと俺の言うことを聞くのなら、お前を助けてやる」と……。そうして城田は一命を取りとめたが、それから先は彼が説明した通りだ。  課題の頻度はまちまちで、ひと月に二、三回のこともあれば、十回を超えることもあるのだという。内容は気まぐれとしか思えないようなデタラメなものばかりで、「物を手でつかんではいけない」とか、「時計を見てはいけない」のように比較的シンプルな場合もあれば、「北向きに進んだ距離が西向きに進んだ距離よりも長くなってはいけない」のように複雑な場合もある。これまでで最も難しかった課題は、「自分の名前が呼ばれるのを聞いてはいけない」というもので、目が覚めるなり彼は家族と顔を合わせないようにして家を飛び出し、そのまま学校も休んだという。家族は彼のことを一種の精神病とみなしていたが、一応、理解はあるようで、おおむね彼の好きなようにさせているらしかった。  実際、城田は学校を休むことがよくあった。僕のいた高校では、どの科目であっても年間授業数の三分の一以上を欠席してしまうと落第になってしまう。城田はどの科目を何回欠席したかを全て手帳に書き留めていて、課題の難易度と天秤にかけて、その日の授業を欠席するかどうかを決めていた。そんなことで、彼は悪魔の課題をこなしながらも何とか高校生活を送っていたのだった。    事件が起こったのは、三学期が始まって少ししたころだった。その日、学校では実力テストが実施されていた。一年間の勉強の成果を見るというもので、一限から六限までの時間いっぱいを使ったハードな試験だ。全ての科目が終わり、生徒たちの喜びや不安の声でざわつく教室では、帰りのホームルームが開かれていた。ふと城田のほうを見ると、徹夜で試験勉強でもしていたのだろうか、彼は机に頬杖をついて居眠りをしていた。  ホームルームが終わり、僕は友人たちと少し話したあと、家に帰ろうと荷物をまとめていた。教室を見渡すと、生徒たちが続々と部屋を出ていく中、一人だけポツンと席に座っている男がいる。城田だ。彼はまだ頬杖の姿勢のまま眠っていた。僕は彼の肩を揺さぶって、「起きろよ」と声をかけた。  目を覚ました瞬間、城田は「うおっ!」と声をあげ、飛び跳ねるように立ち上がった。彼は慌てた様子で周りを見渡すと、すぐさま教室の隅へと駆け寄った。そこで壁にぴったりと背をつけて、クマやライオンにでも遭遇したかのような怯えた様子で僕を見つめた。 「おい、どうしたんだよ」  彼の奇行には慣れていたつもりだったが、それでもなお予想外の行動に僕は困惑した。 「来るな、それ以上、近づくな!」  城田は両手を広げて前に突き出し、必死に僕を制止する。教室に残っていた数人が何事かと僕たちのほうを見た。僕は言った。 「どういうことだよ。説明しろって」 「説明する。説明するから、絶対に近づくなよ……。いいか? 絶対にだぞ。そこだ、そこの席に座ってくれ」  彼は二メートルほど離れた席を指で差して言った。僕が席に着いたのを見て、ようやく彼は少し落ち着いたようだった。  聞けば、城田はさっきのわずかな間に夢を見ており、そこに例の悪魔が現れのだという。 「奴はまず、俺の両腕をぴんと伸ばして水平に上げさせたんだ。それをじろじろ見て、体からだいたい六十センチの距離だと言った。そこで奴は課題を出した。目が覚めてから明日の零時になるまで、体から六十センチの距離に他人を入れてはいけない。猶予は三秒間。それ以上の時間を過ぎて、ほんの一部分でも他人の体がこの距離の内側に存在した場合は、奴の勝ち。そう言ったんだ……」  彼は両手で顔を覆い、狼狽した声で続けた。 「最悪だ……こんな課題だったら、最初から休んでたさ。なんて間抜けだったんだ……学校で眠っちまうなんて」 「これからどうするんだ? 家に帰れるのか?」 「俺は電車通学だから……無理だ。電車は危なすぎるし、歩けるような距離でもない」 「親に電話して迎えに来てもらったら?」 「車か……。運転席から一番離れた席に座れば……いや、それでも危険だ。うちの車なんて、たいして大きくもないんだ」 「うーん……」 「どこか人が来ないところを見つけて一晩過ごすよ。公園とか、橋の下とか……」  一月の寒空の下、食べるものも買えず、人の往来に怯えながら時が過ぎるのを待つ彼の姿を思い浮かべて、僕は不憫になった。それに、学生服姿の高校生が夜間に出歩けば、警官に呼び止められるかもしれない。他に何か良い案はないかと考えているうち、僕はあることを思い出した。昨年から僕の兄が大学生になって家を出たために、うちの家には一つ空き部屋ができていたのだ。高校から家までは自転車で十五分ほど。城田は自転車がないので一緒に歩くとしても、一時間もかからないはずだ。うちの親には適当に説明して、日付が変わるまで城田には誰も近づけないようにすればいい。僕は彼にそう提案した。 「いいのか、そんな世話になって……」 「大したことじゃないさ。気にするなって」  僕は家にいる母親に電話をして、友人が一人泊まることを伝えた。そして、校内にいる生徒が少なくなるまで、僕たちは教室で待つことにした。
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