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 午後四時半過ぎ、僕たちは行動を開始した。まず僕が先に教室を出て、城田はその数メートル後ろをついてくる。廊下にも階段にも生徒の姿はなく、僕たちは安堵のうちに歩みを進めた。下駄箱が見えたあたりで、僕は城田を振り返って言った。 「とりあえず、学校は問題なく出られそうだな」 「ああ、待ったかいがあった」  城田はこわばっていた顔を少しだけほころばせた。  ふいに、廊下の曲がり角の向こうから人影が現れた。数学担当の教師、山岡だ。僕たちの学年主任でもあり、その口うるささから、生徒から煙たがられている男だった。山岡は僕たちの姿を見るなり口を開いた。 「なんだ、お前たち、まだ残ってたのか」 「今から帰るところです」  僕は歩みを止めずに素っ気なく答えた。山岡の目線が、僕の背後にいる城田を捉えた。 「あっ、おい城田。お前また授業休んでただろう」  城田は山岡に進路を塞がれて立ち止まった。その距離、約一メートル。城田は目を泳がせ、後退りをしながら言った。 「あの……スイマセン。体が弱いもので……」 「それは聞いてるけどな。大丈夫か、お前? このペースで休んでたら、留年もあり得るぞ」 「ああ、それは大丈夫です。ちゃんと計画してるんで」 「計画ってお前、どういうことだ」  山岡の声が不機嫌になった。 「いや、そういうことじゃなくて……その……」  山岡が城田に詰め寄る。城田はさらに後退りをする。 「お前、なに逃げようとしてるんだ。どういうことか、言ってみろ」 「つまり、その、将来の計画のことです。ボクの将来設計を実現させるために、体調が悪くてもなんとか頑張って勉強していこうって、そういうことです」 「なに?」  山岡は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに大きく頷くと、明るい声で言った。 「そうか。なかなか偉いじゃないか。俺は去年、三年の担任やってたが、進路を聞いてみるとな、三年生になってもまだ何も考えてない奴がいるんだよ。『先生、大学に行くならどの学科が良いと思いますか?』なんて聞いてきてな、じゃあお前はどうしたいのかって——」  僕は山岡の背中に向かって大声で言った。 「先生! 僕たち、塾に遅れそうなんです! これで失礼します!」  その隙に城田は山岡の脇をすり抜けた。「すみません」と頭を下げその場を離れる僕たちに向かって、山岡は「おう、頑張れよ!」と声をかけた。  僕たちは校門をくぐった。僕は手で自転車を押し、城田はその後ろを歩く。距離を空けていることで、会話をする僕たちの声は自然と大きくなる。 「さっきは助かったよ。ありがとな」 「城田の嘘も面白かったよ。将来設計がどうのってやつ……そんなこと、ホントは考えたこともないだろ?」 「うるせえよ」と城田が答え、僕たちは笑い合った。  僕はできるだけ人通りの少ないルートを選んで歩いた。何度か自転車とすれ違うことはあったが、三秒間を超えて接近することなどまずあり得ない。しばらく危なげのない道のりが続いた。  学校を出てから三十分ほどが経ち、あたりはすっかり暗くなっていた。 「これから広い通りに出るから、気をつけろよ」  僕は城田に声をかけた。そこは五本の道路が交わる大きな交差点で、車がひっきりなしに通っていた。周囲には飲食店やコンビニ、雑居ビルなどが立ち並び、歩道には通行人の姿もちらほらと見える。歩行者用信号が赤になり、交差点の一角に鎮座するファミレスの前の歩道で僕たちは立ち止まった。  ここの信号は一度捕まると長い。おまけに、五叉路のために歩行者用信号は二方向が赤になっている。幅二メートルほどの狭い歩道に、一人、また一人と、信号待ちの人が増えていく。城田の顔にも次第に緊張が広がる。彼はガードレールにぺたりと尻をつけ、通行人から一ミリでも距離を取ろうとするように上半身を車道側へとよじらせた。車道の端を走っていた原付バイクが驚いて脇に逸れ、罵声とともに去っていった。城田は怯え、あたりに居場所を探して奇妙なステップを踏んだ。  背後のファミレスでは、会計をしている数人の若い女性がガラス越しに見えた。彼女たちは間もなく店を出てくるだろう。さらに、僕たちが来たのと別の道から、スポーツバッグを抱えた男子中学生らしき集団が歩道いっぱいに広がって歩いてくるのも見えた。歩行者用信号は依然として赤く光り、変わる気配もない。  これは、まずいぞ……。僕がそう思った次の瞬間、城田は車道に飛び出していた。悲鳴のような急ブレーキの音。城田のわずか数センチ横で車が停止した。彼は右へ左へふらつきながら、車の流れの隙間を縫って進んでゆく。けたたましいクラクションが交差点に響き渡った。僕はその場に棒立ちになり、息を飲んで彼の行く末を見守っていた。車と車の、そして車と人体の衝突音。地面に投げ出された学生服の体。近づく救急車のサイレン……。そんな悲惨な光景が僕の頭をよぎった。  城田は対岸の歩道に辿り着いた。身をかがめて両膝に手をつき、肩で息をする彼を見て、僕は胸を撫で下ろした。僕の近くにいた誰かが「おいおい、何やってんだよー」と呟いた。
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