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そうと決まれば準備をしなければならない。収録までは1ヶ月。
「特番で1曲歌ってぇ、あとは小さいイベントが2、3ってとこぉ」
25年前にマネージャーをしていた草野が電話口で鷹揚と話す。
彼はずいぶんと出世し、会社の専務となっていた。当時から飄々とした男ではあったが、今もあまり変わらないようだ。
「生歌? 口パク?」
「どっちでもいいよぉ」
「絶対歌う」
当時からルミルカは生歌だけだった。
他の歌手は口パクがほとんどだったけど、自分達だけは本当の歌で勝負していたのが多恵の誇りだ。
しかしながら歌うのは20年ぶり。不安を漏らすと、草野はボイトレを手配してくれるという。史子と一緒に練習だ。
「さて、まずは聴き直さないと」
草野との電話を終え、多恵はCDラックを漁った。
『恋の熱帯夜』のCD。埃のついたそれを手で払う。何百回も歌った曲だけど、一応復習せねば。
しかし、CDを手にリビングをうろついてから気付いた。
──我が家にはCDプレイヤーがない。
「くそう、盲点だわ」
音楽を聴く時は配信されている曲をダウンロードしているのだ。
CDが過去の産物になっているなんて……と肩を落としたところで思い出した。勝司のパソコンがある。
多恵はテレワークをしている勝司の部屋にノックもせず入った。
「ねえ、お父さん。これパソコンで聴ける?」
勝司は上半身は会社の作業服だが、下半身はねずみ色のスウェット。
一応、急にテレビ会議になった時のためにその格好のようだが、テレビ会議などめったにない職種だ。
「あー、聴け……ないね」
勝司は多恵の手元にちらりと視線を向けてから薄く笑った。
「がーん、なんで?」
「だってそれ8センチCDだから、このパソコンだと再生できないよ。ていうか、8センチCDって久々に見たなあ」
小ばかにしたような口ぶりにムッとする。当時はシングルといえばどれも8センチCDだったのだ。縦長のジャケットが普通だったではないか。
しかし勝司が作業しているデスクトップパソコンを実際に見てみて分かった。縦置き搭載なので8センチCDが落ちてしまうのだ。
「えー、どうしよ」
「アダプタがあれば聴けるけど……、でも君、ベストアルバム出してなかった?」
「そうだ!」
そういえばアルバムは12センチCDだった。これなら聴ける。
多恵は仕事中の勝司を押しのけ、『恋の熱帯夜』を自分の携帯に移した。
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