三.

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三.

(くだん)の書籍化作品は、とある大手小説サイトに投稿していたもので、現在も続編を連載中だ。 今日も帰宅すると直ちに執筆作業に入る。 元々人気作品ではあったが、大賞受賞、書籍化決定、そしていよいよ発売日と、段階を踏むごとに桁違いに作品フォロワーが増えていき、コメント欄には祝辞の嵐が吹き荒れている。 だが僕の表情は(けわ)しい。 人気に即せず創作が(はかど)らないから、などでは無い。 むしろ調子はいい。 ただ僕が欲しいのは、全人類からの「おめでとう」などでは無く、彼女が僕の小説を読んでくれるというそれだけ、だからだ。 「そうだったな……筋肉=強さ、バトル、じゃないんだ、彼女にとっては……。少しでも彼女に認められようと受賞を焦る余り、いつの間にか賞や人気に寄せて書いてたんだ。となるとこれはもはや、彼女のための物語では無くなってしまっている……」 パソコンのキーボードを打つ手が止まった。 このまま書き続けながら、少しずつ彼女の読みそうな話へと軌道修正をしていくか、それとも、新たな筋肉物語を書くべきなのか。 「これまでの作風を崩せば読者の求めを裏切ることになるが……。しかし何よりも彼女の心に響く物語にするには……やっぱり彼女本人の意見が欲しいんだよな……。でもそれにはまず読んでもらわないと……でもせっかくの本にも触れてもくれないんじゃ、一体どうやって……」 あの後、結局僕自身の手でカバンに戻され、閉まり切らないチャックの隙間(すきま)から口惜(くちお)しげに僕を見上げている書籍とダンベル二つに視線を落とす。 「まぁ……本って、人によっては手に取るのも高い敷居(しきい)の一つではあるし……」 そもそも彼女は本自体ほとんど読まないと、以前にご両親から(うかが)った。 ほんと、手強いなぁ。 首を振り振り視線を戻した作品ページの片隅に、ふと、見慣れない、小さなスピーカーのアイコンが点滅していることに気が付いた。 「ん?あぁ、読み上げ機能、実装されたのか。こういうのって、字の読めない子供とか外国の人にもいいよな……」 試しにアイコンをクリックし、恐らく機械的に合成された音声なのであろうが、心地の良いプロのアナウンサーのような若い女性の流暢(りゅうちょう)な朗読にしばし聞き入る。 そしてすぐに気が付いた。 「いや……これは、あるいは……」 手元のスマホで作品ページを開き、同様に読み上げ機能が動作することを確認すると、僕は画面を地図アプリに切り替えた。
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