五.

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五.

「塚原!走りながらでいい!小説を読むのが面倒だと言うのなら、こうするからせめて聞いてくれないか!?」 彼女と並走しながら、僕は画面端のスピーカーのアイコンをタップした。 「『ぐぉおぉぉおっ!!』 雄叫(おたけ)びと共に、ガイザルの持つ大斧が俺めがけて振り下ろされた。 大柄なガイザルのさらに倍以上の巨大な大斧、ありゃあ一体何キロあるんだ? あんなものを羽毛のように扱うあいつの筋肉、やっぱり只者じゃないぜ……! 『だが……』 俺は余裕の笑みを浮かべてマントを投げ捨てる。 『なっ……!?き、貴様、その筋肉……!いつの間に……!』 『ククク……。あの日、お前に負けてから、俺も生まれて初めて筋トレなんてものをしてみたぜ。才能ってのは恐ろしいもんだな。大したこたぁしてねぇってのに、今やこの通り……!』 俺の脳天を叩き割らんと目前に迫った大斧を、俺は右手の親指と人差し指のみでたやすく受け止める。 『な、なんだとぉおっ!?』 『残念だったな。俺はもうあの時とは違う。今の俺は見ての通り、右腕だけでも野牛(やぎゅう)のボディ並みのサイズの筋肉を身に着けちまった、魔筋(マキン)マスターなの……』」 「うるさいな!邪魔しないで!気が散るでしょうが!何やってんの頭おかしいんじゃないの!?」 流暢(りゅうちょう)な女性アナウンサーのような心地の良い声質で淡々と読み上げられていた、大賞受賞書籍化作品の朗読が打ち切られる。 「それよりどうだった!?」 これはまだ小説の冒頭部分だ。 確かに多少邪魔だったかも知れないが、それでも面白いと思ってくれたのならば、次は第二章の、主人公が大事な人の身代わりに捕虜(ほりょ)になり拷問(ごうもん)を受けるも、強靭(きょうじん)な筋肉によってその一切を受け付けず、敵が恐れをなして逃げ出すシーンを聞かせたい。 「ねぇ!?どう!?」 「『どう!?』じゃないのよ!やっぱりしょうもないファンタジーじゃないの!そんなメチャクチャな筋肉があるわけないでしょ!?あんた筋肉のこと何もわかってない!筋肉の気持ちとか全然わかってないのよ!」 振り返りもせず言い放った彼女は、ふいに進路を九十度ひねり、川の方へと堤を駆け下りた。 「!!」 急ブレーキをかけて停車した僕がその背を見送る中、まるでアニメのキャラのような跳躍(ちょうやく)で、彼女は川面(かわも)から顔を出す大小の石を飛び()いで対岸へと渡って行った。 「やはり手強い、そしてかっこいい……」 この世にこんなに僕を()きつけてやまない存在があるだろうか、いや無い。
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