NO.2 VVを着た悪魔

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NO.2 VVを着た悪魔

あの式典から2日経った今も、新聞の一面は署長が飾っているらしい。おれは新聞を取るほど金銭的な余裕はないが、朝出勤前に付けているニュース同様に魔薬に打ち勝った警察署を褒めたたえ、魔薬取締班の誕生に喜ばしい言葉を贈っているのだと思う。 テレビでは中継中に撮れた爆発の瞬間や混乱する現場の様子を何度も使い回してはキャスターが興奮している。日常を一瞬で地獄と化せるほどに強大な服用者を逮捕するなんて前代未聞だからだ。誰も想像出来なかっただろう。 『この街に魔薬が対抗できる術が生まれました!もう我々は怯えなくてもいいのです!』 興奮気味のキャスターに反しておれの心は冷めきっていた。 マトリ、まさか本当にあるなんてな。 おれが見たゴブリンみたいな巨人が結局服用者だったわけだが、それを逮捕できるほどの刑事が警察内部にいるというのはまだ現実味を帯びない話だ。 そして、それと同時に服用者にさせられた刑事が実在するということもまた、実感がない。 どんな自己犠牲の精神を持っていれば正義のために服用者になろうと思えるのかも、そういう非道理なことが警察上層部で決行されたことも、まだ。…シュウさんも承知していたのだろうか。 そして続くのが、 『バーネット署長がご無事なのは魔薬取締班の活躍はもちろん、警備課の培われた護衛技術によるものでしょう』 魔薬取締班に飽き足らず、今度は迅速に煙幕から記者たちを避難させた警備課も称賛される流れもきているらしい。地に落ちれば後は上がるだけとは言うが、この持ち上げっぷりはなんだかお祭り騒ぎだ。もちろん、警察の一人として手のひら返しは嬉しいことだと思う。 でもあの時、どうして普段護衛もつけない署長がわざわざおれに護衛を命じたのかずっと気になっていたから、こじつけてしまう。 これを狙っていたんじゃないかって。 なんて、考えすぎだよな。 署長とシュウさんと、そして余計なおれが煙から出てくる映像がテレビに流れる。これももう何度見ただろうか。 「ふは、画面通しても馬鹿面なんだな」 ソファーに凭れる兄に合わせて笑おうとしたが、口からでるのは乾いた笑いばかりだった。 笑えない。正直、あの会見から不安でしかなかった。余計な心配ばかりが浮かんできてまともに寝れた試しもない。 「兄ちゃん…マトリがまじでいんだよ。怖くねえの」 鬱陶しそうに、兄の目だけがおれへと向いた。こういう手の話を兄は嫌う。 「別に。俺がどう思ったからどうなる話でもねえだろ」 「でもさ…」 「でもなんだよ」 「おれ、やだよ。兄ちゃんになんかあったら」 「いずれバレんだろ。遅かろうが早かろうが関係ねぇ」 「なんでそんな投げやりなんだよ。おれは真剣に…」 「…」 「兄ちゃん、聞けよ!」 『服用者の撲滅は、そう遠くない未来なのかもしれませんね』 嬉しそうに語るニュースキャスターが恨めしい気さえしたが兄の顔に感情はない。おれの感じている恐怖も何も、兄にはないのだろうか。 「なあ、バッティ」 へらっと口角を上げる兄の表情は笑顔でなく怒りであるのをおれは知っている。タトゥーだらけの手がゆっくり伸びてくるのをおれは拒めず、冷たい手にぐっと首を掴まれる。 「いっ」 「誰に説教たれてんだお前。真剣になんの遅えんじゃねえの。つーか全部さ、てめえのせいだろ?」 耳元で囁かれる静かでいてドスの潜んだ声に、頭の先から血の気が引いていくのを感じた。 ……そんな事、言われなくても分かっている。 気道に兄の指が食い込んでいて息が吸えず視界が狭まっていく。 「事実は変わんねえんだよ、バッティ。今更惨めたらしくあがいて…あは、見苦しいぜ。俺に説教する暇あったらさっさと仕事行けよ、ん?遅刻すんぞ」 おれが兄ちゃんを守らないと、なんとしてでも。 日差しの強まってきた朝日は居もしない何者かに責められている気さえした。こういうのを被害妄想っていうんだよな。 憂鬱な気持ちのままいつもの坂を登って警察署に向かう道すがら、警察馬に乗っている隊長のルドルフさんとばったり遭遇した。 3年目にして初めての出来事につい反応が遅れる。 なんでうちの近くに居るんだ…普通に考えればパトロールだと想像がつくのに、ここ最近のおれの頭は兄への心配でほとんど埋まっているから、 「なにしてんすか…」 そう聞いた声は変に強ばっていただろう。 警察馬の鎧が朝日を反射して眩しく、手で遮りながらはるか高い所の顔に警戒していると、 「ん?なにって迎えに来てやったんだよ」 ルドルフさんはキョトンとしていた。 「お前も、昨日みてえなのはお前もうんざりだろ?」 「えー惚れちゃーう」 昨日の、というのは門の前に集まった記者の群れ達のことだ。恐らくテレビが発明されたせいで仕事が減った新聞社の連中だと思うが、式典後の署長の会見があんまりにも魔薬取締班について隠した発表だった為に直々に問いただしにきたのだ。 だがあの署長が記者達に取り合うわけもなく、破れ門前で探求心を持て余していた所に、何も知らないおれが出勤してしまうという悪循環。腹を空かせたハイエナにとって、あの日署長と一緒に煙から出てきたおれは別の意味でいい飯のタネと判断されてしまったらしく。 そうしてもみくちゃだった。 「どうせなら女の子にモテたいんすけどね」 馬の背中に跨りながらボヤいた。 乗馬の出勤はいつもの苦労が馬鹿馬鹿しく感じる程に優雅だ。坂道だろうが人混みだろうが関係ない。 「ま、男の運転に乗ってる分には無理だろ。早く免許取れ」 「えーいまどき馬で迎えに行って喜ぶ女の子います?」 「馬鹿、仕事で必要になるだろって意味だよ。お前が迎えに行くのは困ってる人」 「あー…」 おれが普段40分かける道を、馬はたったの15分で駆け上がってしまう。警察署のあるQの5番通りに出ると、今日も懲りずに記者が警察署の門前に集まっているが隊長が一声「道開けろ!」と言えばさささと記者達は引いていく。 なんて快適なんだ…。 門が閉まり記者達と隔絶されたのを見計らい、おれたちは馬から降りる。 庭園の入り口手前に設けられている馬舎に、警察の移動手段である馬を戻すためだ。 「この感じじゃ、しばらく警察ブームは終わんねぇなあ」 ということは、しばらくおれは迎えに来てもらえるのだろうか!? と淡い期待を抱いたが、 「ギル、俺明日はそっち迎えに行かないぞ。朝番だ」 「えー!困ってる人迎えに行くのが仕事なんでしょ!?」 「やかましいわ。お前もさっさと寮にしろって」 「それこの前ルイスさんにも言われましたよ…」 「どう考えたって悪いことしかねえだろ、食費はかかる距離はある。それに、その首の傷なんだよ」 怪訝そうなルドルフさんが指差すのは、朝兄に締められた跡だ。げっ、と慌ててワイシャツの襟を上に持ち上げた。 「またいかれた小銭稼ぎしてんだったら隊長命令で寮にぶち込むからな」 「いつの話してんすか…。もうそんな若くねーっすよ」 「ったく頼むぞ?お前が危ない事してると俺アイツに顔向け出来ねぇよ」 「……」 苦笑いしか出来ないでいると、大きな手が伸びてきて、頭をワシャワシャっと撫でられた。 兄とは違う温かい手だ。 「まあでも、署長の護衛までしっかり果たして、お前の兄ちゃんもきっと喜んでるだろ」 「…どうっすかね」 「俺は庭師じゃねぇんだよくそが!」 本日の仕事の舞台となる無駄にでかい署内の庭園。合流した途端、ルイスさんの怒声が響き渡った。 もしかして、おれ、間が悪い? この気性の荒さからただでさえ周りの隊員に恐れられている彼、今のように殺気立っていては案の定誰も彼と目を合わせようとはしなかった。それはもちろんおれとて例外じゃない。 持ってきたシャベルを握りなおしてこっそり目立たぬよう、端にある大きな足跡の元へ向かった。 庭の芝生を点々と抉るクレーターは、式典を襲撃したあのゴブリン基服用者の仕業だ。 といわけで、おれの仕事は昨日に引き続き、服用者が残していった多大なる足跡を消すことである。 こんな雑用を、と思いはする。ルイスさんがご立腹なのも皆分からなくもないはずだ。あの勢いは謎だけど。 警備課の日常的な仕事は要人や施設の護衛であって全ては依頼から始まる。だがアヘン事件の失態以降信頼を失い、「警察に命を預けられない」と依頼数は激減、また追悼ムードというか、大きな舞踏会なども自粛気味であり早い話が仕事がない。 パトロールなど自主的な仕事も増えたものの、この小さな街に毎日事件が起こっているかというと別の話。 体力でしか能のない癖に仕事のないおれらは常にリストラと隣り合わせ。悲しい話だ。 テレビでブームが起きている今だからこそ、珍しく市民から護衛依頼も来ているようだが、それもほんの些細なもの。本腰を入れたいだろう貴族からの依頼数は今のところ変わりないらしい。 地面に空いた大きな足跡を埋めながら思う。 こんな規格外の化け物ですら逮捕できる刑事がここにはいるのだ。 おれ、こんなことしてていいのかなあ… 途方もなく遠い青空を見上げてため息を吐くと、後ろ頭に鈍痛。 「いったぁ!!」 「てめえも呑気に土遊びしてんじゃねえ!!埋められてえのか!」 「お、おれー…?」 逆鱗で怒れるルイスさんがおれを見下ろし睨みつけている。怒りの矛先が何故かおれに向いたのか、人を殺しそうな勢いで噛みついてくるのだ。 「こんなんC.A.T.にやらせりゃいいんだよ!てめえも簡単にはいはい従ってんなぼんくら!」 「ええ…だって課長の指示ですし…」 「てめえ従う人間も自分で選べねえのか。こんな馬鹿くせぇことやってられねぇだろ?」 馬鹿くさいと言われれば否定はできない。 …大方、あの気の弱い警備課長のことだ、面倒な仕事を押し付けられても断れなかったに違いない。はずれくじを引かされたのだろう。 「さっさと行くぞ」と仕事放棄を決め込み警察署の中へと帰っていくルイスさんに、おれは少し迷った末についていくことにした。余計なことまで考えたくなかった、ずっと不安がついて離れない。でもルイスさんは、そういったものを考えさせてくれない人だ。 ウッドデッキから警察署に入ると、廊下を歩く同期の姿があった。その前を歩くのはピンヒールの女性が新しい上司だろうか。 式典時の騒動で変わったのは警備課だけじゃない。おれなんかが署長の護衛を務めた以上に奇妙なのは彼女だ。 エマちゃんはあの日、おれがメガネを渡し避難を促したあの後、集合場所に向かわなかったようなのだ。 どこにいっていたかと聞いても答えてくれず、それどころか昨日付け刑事課から一線引いたC.A.T.なんてクレーム処理の部署への異例の異動が決まった。 明らかにおかしい辞令だった。そんなことが出来るのは署長しかいない。 署長があの日おれに言った言葉を裏返すなら、エマちゃんはあの日好奇心に殺されたのだろう。
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