NO.1 吾班は猫である

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* 会場にはもう全員が揃ったようだ。 警察署の最上階に位置する署長室の大きな窓から見下ろすと、ステージを前に整列する刑事課、警備課、そして記者達、皆が署長の登壇を待っている。 「…署長、本当に始められますか」 「愚問だな、お前にまで聞かれるとは思わなかった」 今日の原稿に目を落とす署長、マリウス・アーサー・バーネットは淡々と答えた。殺害予告を受けているとは思えない余裕っぷりである。いや、本気にしていないが正しいだろう。こういった式典の前には必ずなにかしらの犯行予告を受け取っているのが権力者の常、秘書であるシュウ自身、お決まりの、という感情をどこかに抱いていた。 だが、今回の内容はお決まりとは少し違う。 「自分が服用者だと明かしています。魔薬を使用した時点で死刑は確実なのに、悪戯でこんなリスク、負うでしょうか?」 「はっ、服用者でなかろうとそこに書いてある通りに俺を殺したらその時点で死罪だ」 「そうですが…」 「真偽などどうでもいい」 啖呵を切るように署長は言い切る。 「この差出人が阿呆であれ無謀であれ、俺のすべきことは一つしかない。分かったらこの話は止めてもらっても構わないか」 「…」 他人から殺意を抱かれていようと臆することも動じることもない、まさに鉄の署長の異名に相応しい人だと思う。 見栄の張り合いの貴族社会において、警察の式典が厳重警備を敷いているのは信用問題に値する。我々は舐められている、と暗に言っているようなものだからだ。街の秩序を守る絶対的存在の刑事課にも、貴族の警護につく警備課にも勝利しか許されていない存在にマイナスイメージが付くことは変わりない。 襲撃は、あくまでも不測の事態を装うつもりなのだ。 アヘン事件が落とした影の大きさを痛感する。 警察への信用は数百人の被害を出した時点で地に落ちている。更にその事件が未解決であれば、不信感は拡大する一方だ。アヘン事件が解決するまで回復することはないだろう。 それまでは、やせ我慢の時か…。 だがそれでも、警備課の人間を何人か自身の護衛に当ててもいいではないか、とシュウは思うところがあるが、それを切り捨てた署長が英断だった事も理解できる。…服用者が相手ならば、一番賢い選択だと言えるだろう。 護衛を何人つけようと悪魔の力を得た服用者に人類が敵うわけもない、人員を割くだけ無意味な被害を増やし、警察が無力であると知らしめるだけである。 一番の防御が何もしないということとは、残酷だがこれが現実だ。 二度と警察は、服用者の前に敗北することは許されないのだから。 だが、アヘン事件の頃とは違い、警察側にも切り札はある。 署長室の応接用ソファーでくつろぐ二人の警察にシュウは歩み寄る。今中庭に並んでいる警備課、刑事課とも異なる独立組織、サングラスで顔を隠す男女しか署長の有事を救えるものはいないだろう。 「ナターシャさん、マリウスさんを頼みますよ」 念を押してお願いをするも、足を組んだ彼女はうんともすんとも言わない。あれ、と思っていると、向かいに座る男、アレンが腰を上げ彼女の顔の前で手を振る。 「ナターシャさん、寝てますね」 「…」 なんて便利なサングラスだろうか。というか、なんて緊張感のない…。 「…不義理な奴だ。さっさと叩き起こせ!」 署長の怒声にビリビリと揺れる窓ガラス。雲行きの怪しい式典だが、まずはスピーカーの音量を調整しようと、頭の片隅にメモをした。
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