NO.1 吾班は猫である

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* 「はじめに署長 マリウス・A・バーネットより開会の挨拶をいただきます。それでは署長、よろしくお願いします」 シュウさんの司会によって署長がステージに登壇すると、下に整列する総勢100人余りの警察は一糸乱れぬ動きで敬礼する。 式典が始まった。 緊張感が張り詰める中、隣のルイスさんなんて大あくびだ。すごい神経だな、と呆れつつも気づけばつられておれもつい。刑事の同期はこの日を楽しみにしていたようだが、志望動機も給与額だけのおれからしたらそこまで思い入れもない行事だ。 警備課の連中なんてそんなものだと思う。 にしても、最後尾になったのは正直ラッキーだ。集合時こそ班長に怒られたがポジションは最高。これならちょっとのサボりもバレないだろう。 早く終われ~… 遠くの演説台に立つ署長は全身喪服のように黒く、ここからだと白い警察署とステージに落ちる1点の染みのようだ。実際そうだろう、市民の大半は彼のことを胡散臭いと思っているはずだ。 黒い噂が付きまとうのは貴族の特権だが、彼は別格だ。 例えば、元々この貴族の街で一番権力を持っていたのは王族の末裔であったのだが、急に没落した。その背景には彼の家が関係しているのだとか、彼はこの貴族の街を終わらせ国を統一するために首都から送られたスパイなんだとか。 そんな陰謀論が渦巻く中、怪しい噂は警察内部に関するものもある。それが秘密裏に設立されているという魔薬取締班という組織。。 あの署長は、アヘン事件を機に魔薬とその服用者を専門とする捜査班を結成させたというのだ。略してマトリ、その正体は自らも悪魔の力を得た警察で構成された独立組織らしい。 そんな人体実験のような事が警察内部で行われていると思うとゾっとするが、あり得ると思わせるのはあの鉄の署長の人を人と思わない冷酷さだけで、現代になってまで魔薬を服用させるような非人道的な命令が許されるはずもない。 見ず知らずの他人の為に人間を捨てたという班員は、どれだけいい子ちゃんなんだという話だ。 居るなら見てみたいくらいだ。 マトリについての噂は記者の出任せかそれとも警察の七不思議なのかはおれにも分からない。署長秘書のシュウさんに聞いたときは、そんな信じやすいと人に騙されちゃいますよ、と呆れられたぐらいだった。 だが事件の犯人が服用者と判明した途端捜査が打ち切られたり、事件現場が警察ですら立ち入りを禁じられるという事案が実際にあるのだから、何かあるのは間違いない。 「こんな粉薬にこの街の秩序が脅かされるとは誰が予想出来ただろうか」 署長の低くてよく通る声がスピーカーで増して静寂な中庭に響き渡る。 おれが与えられている情報は、この人の知る真実の何分の1なのだろう。2分の1か?それとも10分の1? 「魔薬とは服用しただけで奇跡の力を得る未知の薬だ。かつての人間が神によって与えられた火と同じように、我々を高めるものとなったであろう。 だが、この第二の火は忌まわしきものとして我々の歴史に刻まれた。これは人に、秩序に抗わせ正義すら揺るがす悪魔の薬だ。  まずは警察署の創設を祝う前に、3年前のこの日、悪魔による痛ましい惨劇で命を落とした人々に黙とうを捧げよう」 …あれ。 黙とう、署長の令でその場の誰もが目を伏せる中、おれだけ異変に襲われていた。目を閉じるよりも先に急に視界が暗くなっていく… ドサッと物音がして、ルイスさんがおれを呼ぶ声が近いようで遠くから聞こえる。 なんだこれ。瞬きをしてるはずなのにずっと真っ暗で何も見えない。 変な感じは、時間にしたら数秒だったのかもしれない。 じわじわ視界が戻るとおれは芝生の上に尻餅をついていて、そんなおれをルイスさんが覗き込んでいた。 「おい大丈夫か?」周りを気にしつつ、ルイスさんが囁く。 「や、分かんねーっす…」 「貧血か?」 「かも。最近すぐフラフラしちゃって」 「女子かよ。ほら」 「…すみません」 差し伸べられた彼の手を掴んで立たせてもらっても、まだ頭がぽーっとしている。 体力仕事の警備課が立ちっぱなしで倒れるなんて、恥ずかしい話だ。やはり最後尾なのは不幸中の幸いだった。もし班長に見られていたら、大袈裟に心配された末に筋トレメニューが増やされていただろうから。 失敗の挽回とは言わないけれど、黙とうを真剣に捧げていると、おい、と囁くルイスさんに小突かれる。この人の悪いノリだ、大人になってもまだこういう悪戯をしてくる。 「ちょ、やーめて」 「まじで、後ろ見ろ」 「え~…」 渋々目を開けると、ルイスさんは怪訝そうな顔のまま顎で背後を指した。 「なんだアイツ、気色悪ぃ」 最後尾のおれ達の後ろには庭園しかないが、ルイスさんはじっと一点を睨みつけている。 緑に目を凝らすと、見つけた、木々の隙間からこちらを覗く一人の男。 明らかな不審者だが奇妙なのはその姿だ。2mはゆうにある巨大な身体に、異常に腫れ上がった筋肉の両腕が重たそうに垂れ下がっている。子供の頃よく兄に読んでもらった本の挿絵を彷彿とさせた。まるでゴブリンだ。 …なんだあれ。人、だよな? そのアンバランスな見た目に呆気に取られていたおれは判断が遅れた。 なにか投げるっ! こちらを静観している不審者が前触れもなく、その大きな肩を振りかぶったのだ。 「っみんな、伏せろ!!」 言うが早いか放たれるが早いか、おれの声をかき消すほど空気が唸る。不審者が投げ放ったなにかは豪速で頭上を飛んでいった。 恐ろしいのはスピードよりも飛距離だ。既に目視出来ないが、この一直線上にある先は警備課、刑事課、記者の群れそして… ドン!!と腹に響く重低音と共に、署長の登壇しているステージが爆破された。 「なっ!」 狙いは署長か、あの男が投げたの爆弾だったのだ。 くそ!振り返るが既に謎の巨体は姿を消している。 「おい!!!」 ルイスさんの声で我に返るも、悲鳴とどよめきばかりを耳が拾って上手く聞こえない。そうこうしているうちに、今度は崩壊したステージから湧き出た白煙が記者を刑事課をどんどん飲み込んでいく。 テロ?襲撃?あの男はなんなんだ? 「ギル!犯人みたのは俺らだけだ、あのデカいの捕まえにいくぞ!!」 「っはい!」 「馬鹿野郎!独断行動は許さねえぞ!!集合しろ!」 隊長が声を荒げる。煙幕は刑事課を丸々飲み込んだが後方だった警備課の列までは届いておらず、急遽この非常事態に警備課長が指揮を取るようだ。 刑事課のキース課長とは相反して、うちの課長は頼りない。どこの仕事にもつけなかった貴族のコネ入社が良く分かる風で、常にオドオドしていて自信なさげに両手を握っては離してを繰り返す。血の気のさかんな警備課には似合わない頭だ。声もぼそぼそと聞こえづらい。 「み、皆さんには、避難誘導を行ってもらいたくて、署長、前方の刑事課や記者の皆さんの安否が心配ですので…こちらに避難させま、あ、風上に!風上のこちらに…」 「分かっただろお前ら!」 隊長が言葉を継ぐのは、再確認の意で課長の指示を言い直すことが多いが、実際は士気を上げるためと課長の声が聞こえなかったおれらの為だと思う。 「敵襲だか知らねぇが俺達がやることはまず仲間達をあの煙から救うことだ!救助と護衛に組み分けてやるぞ。お前ら、眼鏡持ってんだろうな!!」 * 黙とう中、伏せろ!!と声が聞こえ目を開けた時にはすべてが終わっていた。 理解するより先に轟音と熱風に襲われ、エマは思わず顔を背ける。次に目を開けた時、周りは煙幕に包まれ何も見えなくなっていた。 だが、脳裏にはステージが爆発した一瞬の光景が焼き付いている。 テロに違いない。 アヘン事件をなぞる思想犯がいつ現れてもおかしくないとは、刑事として何度も聞かされてきた。それが今日だったのだ。 今、何者かに襲撃されている。理解するや否や、戦うには重たすぎるジャケットをエマは脱ぎ捨てた。 エマの腰には昨日とは違い剣がある、これは刑事としての責任だ。自分はもう守られる立場ではない、犯人を止める一人となった証拠である。 煙幕で状況は見当もつかないが、聞こえるのパニックになる記者達や混乱している刑事たちの声。周辺に敵がいる様子はないが、それもいつまでかは分からない。 刑事課長の言っていた命の選択とは、彼らを守る為に、犯人を殺すということだ。 正義と心中する覚悟とは、殉職も… 余計な思考を振り払う。熱いくらい脈打つ心臓も震える指先も、全身が不安がっている。 自分に出来るだろうか?いや、やらなくては…。 剣の柄に手を添えたその時、両肩を何者かに強く掴まれた。 「キャッ!!」 「なんだ、エマちゃんかあ。よかったぁ…」 「え…え、ギル!?」 突然煙から現れた慣れ親しんだ顔にエマは驚きを隠せない。両肩を挟むように掴むのは同期のギルバートだ。いつもしていない眼鏡をかけた彼はやれやれと頭を振る。 「おれ間違えちゃったじゃん、物騒なの持つなよなあ」 この煙の中ピンポイントで人の居場所を見抜いたのはその眼鏡のお陰のようだ。 要人護衛を主な仕事とする警備課は様々な道具を携帯しているが、彼の眼鏡もその一つだろう。 無事?怪我してない?と心配そうにキョロキョロ自分の身体を見回すギルバートにバツが悪くて、エマは同期を引き剝がした。 「ねえ、何があったの?」 「分っかんね。でかい男が後ろから爆弾投げたのは見たんだ。…気づけたのに、おれ止めれなかった」 声こそやるせなさそうだが彼は手際よく動き、制服の中から自分と同じ眼鏡を取り出すと、エマの顔にもかけさせる。 こつこつ、ギルバートが指の腹で叩くと、レンズに砂嵐が走り始め、次第にいくつかの赤い点がぼんやりと浮かんで見えてきた。これが人の体温ね、とギルバート。 自分の手のひらを見ればシルエットこそぼやけてはいるものの赤く色づいている。 この眼鏡はサーモグラフィの様に温度が高いものを色づけて見せるようだ。 「今ステージが右にあるんだけど、左側。赤い塊が溜まってるの分かる?今とりあえずそこ集まって煙幕晴れるまで待機することになってんだ、記者の人たちもいるしでさ」 「…ねえ、シュウさんは大丈夫だったのかな」 「ステージの方は…。でもまだ避難追いついてねーってのもあるし…」 苦い顔をするギルバートは言葉こそ濁したものの、何を言わんとしているかはエマにも分かった。 エマとギルバートは同じ時期に警察官になった所謂同期だが、その時に世話役としてなにかと面倒を見てくれたのが署長秘書のシュウであった。辛いときも支えてくれた彼はエマにとって恩師より身近な兄のような存在だった。心の拠り所だったのだ。でも、 あのステージに居て、無事なわけがない。 信じたくはないが、頭では漠然と彼の死を理解していた。 「…私もみんなの避難手伝うよ」 「でもキース課長が到着してたら別の指示があるかもしんねーから、ね?エマちゃんは刑事の人たちと合流した方がいい。おれもこれからステージの方行くつもりだったし、こっちは任せてよ」 有無を言わせぬギルバートに諭され、エマはざあざあ荒れる眼鏡の視界の中走っていた。 正直に言うと、やるせない気持ちでいっぱいだ。まず最初にすることが避難だなんて。ギルバートは、立て直しだよ、とエマに言い聞かせたが気休めにならない。 煙幕のせいで確実に警察は後手に回っている。煙の中では動きようがないし、第一連携が取れない。後方に居た警備課こそ立て直すのは早かったが、刑事や記者の避難で手一杯だ。 今この場のどこかに犯人がいるかもしれないのに…。 前方に見える赤い影は、エマと同じように警備課から眼鏡を渡され誘導された刑事や記者達だろう。彼らの流れに沿っていると、視界の隅でチカチカ!と眩しいほどの高温が過ぎ去って行った。 はじかれたようにエマは振り返る。なんて速いんだろう。 1人、皆とは違って中庭の外に向かう一際眩しく大きい影。普通の人の二倍はありそうな背丈だが、砂嵐の視界ではシルエットが限界でそれが人なのかも分からない。 だから、エマを突き動かしたのは小さな興味本位だ。こんな些細なきっかけで運命が狂わされるとは想像もせずに、エマは眼鏡を外してみた。 どうやら風下に向かっているうちに煙の切れ目まで来ていたようでうっすら霧掛かっているもの、周囲を見渡すくらいなら裸眼でも出来る。高温の正体は、木々に隠れてこの警察署から逃げようとしているようだ。 「…っ!」 その大きすぎる背中にエマは息を飲んだ。人間だ、だが大きさが人だとは信じがたい、しかも両脇には張りぼてのように巨大な両腕が垂れ下がっている。…犯人を見たというギルバートは、巨大な男と言っていた。それが、あれなのか…? でもあれは人と言うよりも 「悪魔…」 考えるよりも先に、エマの足は動いていた。
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