NO.1 吾班は猫である

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* エマちゃんはちゃんと避難しただろうか? ステージを目指しながらおれは、シュウさんの死を覚悟していた。 司会を務めていたシュウさんはどんなに端とはいえステージ上。爆発の中心だ。 エマちゃんにああは言ったけど、あのステージの爆発から逃げることがどんなに不可能か、爆弾の軌道を見てしまえば嫌でも分かる。署長を含めたステージの彼らは爆弾に気づく間もなかっただろう。それくらい一瞬の出来事だった。 どんな姿であれ、彼らだと分かるなにかが見つかればいい方で… 嚙み締めた奥歯が軋んだ。 あの時、少しでも動けていれば結果は変わっていたかもしれない。おれはいち早く、あの犯人に気づけていたのに… ステージがあっただろう場所は酷い有様だった。 煙越しでも分かるほど芝生は黒く焦げ、ステージか演説台か分からない木の破片が散らばっていた。まさに残骸だ。そしてやはり、シュウさんや署長らしきものは見つからなかった。 爆ぜてしまったのだろう。覚悟はしていたけど、こんなにも何も残らないなんて残酷だ。 涙すら流れなかった。 唯一の救いは爆発の炎が燃え移らずに鎮火していたことだ。じゃなければ今頃、シュウさんがよく水やりをしていたこの植物達で辺り一面は火の海になっていたはずだ。 …いや、こんなことがあり得るか? こんなにも燃えやすそうな植物で溢れているのに、なんで火が消えたんだろう。そう思うとなんだか薄気味悪い。ラッキーだったと、偶然だったと思っていいのか? コツ、と足がボトルを蹴る。拾い上げると中に少しだけ、白濁色の液体が残っていた。 なんだろう。でも火以上に不気味だ。この無傷なボトルは、爆発の後に誰かの手によってここに捨てられたということだ。でも一体、何のために?そもそもこの液体は? 「ギルくん」 「ひぇっ」 びっくりして思わずボトルを落としそうになってしまった。聞こえた声はおれをよく𠮟っては褒めてくれたあの人の声にそっくりだったから。 はじかれたように振り返ると、空耳だとばかり思っていたのに、もう会えないと思っていたのに、確かにシュウさんがいる。 「うわ、え!シュウさん?!」 信じられなくてメガネを外したり、本当に実在しているのか小柄な彼の肩を叩いて確かめてしまうが、目の前にいるのは間違いない、シュウさんだ! 無事だったのだと分かった時には、嬉しさのあまり彼に抱き着いていた。 「よかった!おれもう、シュウさん駄目かと思って…」 どうして無事だったんだろう、とかあの爆発から逃げ切れるわけがないとか、頭の片隅で生まれる疑問は遠くに押しやった。馬鹿な話だけど、言ったら現実に戻ってしまいそうな気がして怖い。だから気づかないフリをする。運がよかったんだ、自分にそう言い聞かせた。 「もー、勝手に殺さないでくださいよ」 シュウさんはいつものようにおれに呆れているようだ、頭を撫でる手つきはこっちが恥ずかしくなってしまうくらいに優しいくて、段々年甲斐もないことしちゃったなとバツが悪くなってきた。ガキじゃあるまいし…。 謝りながら彼から離れて、 「シュウさん早く避難してください。おれ、風下まで案内するんで」 だがシュウさんは動こうとしない。 「僕たちはここにいた方が安全かもしれませんから」 「こんな煙の中のほうが危ないっすよ!」 いや、僕"たち"…? 「俺たちは避難はしない」 シュウさんの後ろ、煙で霞む人影が言った。 そのよく通る低い声を、おれはたったさっきまでスピーカー越しに聞いていた。だからおれにはあの先にいるのが誰なのか瞬時に分かった。でも… ステージが爆発したのをおれは見た、そこにずっと署長がいたのも見ていた、なのに! 歩み寄る黒い靴、喪服のように黒いスーツ、そして人を威圧するほどに意志の強い目。 おれの目の前には署長、マリウス・アーサー・バーネットが怪我一つ負わずに立っている。 * あんなに大きな図体なのに、どうしてこんなにも速いのだろう。 膨大な広さの庭園を走り続けるエマの息はもう上がり始めていた。 しかも前方の男の踏み込みは力強く、その重さから庭の芝生を抉って大きな足跡を作りエマの足を掬うのだ。足元に気を取られて思うように走れない。 刑事の中でも足の速さには自信のあったエマだが、謎の巨人の背中に追いつくどころかその差はどんどん広がっていく。 だがふいに、巨人の身体が縮み始めた。それはまるで風船の空気が抜けていくかのように、男の身体をまとう筋肉がみるみるしぼんでいく。 魔法が解けたかのように、目の前を走る男はただの、どこにでもいる姿形の男に変わった。 …やはり服用者だろう。 服用者を見たこともないエマだったが、あの異様な筋肉量もそれを一瞬で無くしてみせるのも、到底人間の出来ることではない。 力を無くしたのは意図的か、それとも体力的な問題があるのだろうか?エマには分からないが今がチャンスであることには変わらない。 服用者が悪魔と言われようと、人間の常識を遥かに超えていようと、恩師の仇を見逃すわけにはいかない。 大きく息を吸い込んだ。 「止まれっ!!」 犯人はぴたりと足を止める。追手の存在に気づいてもいなかったようで、目を瞬かせていた。あんなに大きな足音を響かせていたのだから、エマの足音など聞こえなかったのだろう。男は軽い笑いをこぼす。 「すげえな姉ちゃん、どこで見つけたかしんねーけどよく俺についてこれたな」 「…刑事課所属のリュクサンブールです。先ほどの署長暗殺は、貴方の犯行ですね」 「はは、いいね、こういうの。警察24でみたことあるぜ」 「真面目に答えてください!」 「おお、怖。ん~どうだかな?でも見たのか?お前ら黙とう中だっただろ?それとも口ではああ言ってるだけで、黙とうする気もねえって感じか?」 上機嫌に言葉を並べる男をエマは睨みつけた。 この期に及んで言い逃れでもするつもりなのだろうか。 「…なら言い方を変えます。貴方は服用者ですよね。服用者であれば署長を暗殺していなくとも貴方が重罪人であることには変わりません。貴方が逮捕されるには十分すぎる理由です」 重罪人である服用者に執行される刑はただの一つ、署長を殺していようがいまいが、服用者の彼に下されるのは死刑に他ならないのだ。 「ま、そっか。そうだわな。姉ちゃんが正解だわ」 罪を認める男は焦る様子ないが、抵抗する素振りも見せなかった。これは降参と捉えていいのだろうか。 内心エマは迷っていた。 底知れない力をもつという服用者相手、その脅威を目の当たりにしたことはないが、楽に勝てる相手ではないだろう。下手に戦って逃げられることだけは絶対に避けなければ。 でも…、ふと思う。 彼が抵抗出来るならとっくにしているのではないか?服用者の力を使って逃げることだって出来るのに彼はしない。 やはり身体が戻ったのは、体力的な問題か…。 「…大人しく投降するのなら、私も貴方に危害は加えません」 男から目は離さないものの、慎重に、ゆっくりと、エマは構えていた剣の柄から手を放し、代わりにもう片方の腰に下がっている手錠を掴んだ。 それを見た男は何も言わず、手錠を前に自ら両腕を合わせて差し出した。 やはり、もう力は残っていないのだ。 ほ、っと心の底で安堵するエマが、手錠をかけるべく男に踏み寄った時、 「手が滑っちゃった~」 エマの耳が聞いたのはそんな冗談めいた男の声ではなく、風が唸る轟音だ。男の両腕に吹き飛ばされたエマは、その勢いのまま大木に背中を打ち付けられる。 頭を支配するのは痛みよりも混乱だ。どこからか分からない血が喉の奥からこみ上げてきて吐き出しながら、何が起こったのかすらエマ分からなかった。 今では50mも離れた先で男が笑う。たった一瞬でこんなにも飛ばされたとはエマには信じられなかった。身体の大きさも変わってないのに、あの力はどこから…? 「まじで逮捕できるとか思ったん?真面目か。相手してやってるからってあんま調子乗ってんじゃねえよ」 ニタニタと意地の悪い笑いを浮かべながら、男が一歩一歩エマに近づいてくる。 勝ち目なんて次元じゃない!。相手にすれば確実に死… 逃げなければと本能が言っているのに、エマの身体は痛みでか、恐ろしさでか力が入らなかった。大木の根本から立ち上がることすら出来ない。 バクバクと、自分の心臓の音が耳を割りそうなほどに大きく響く… 「私の前で調子のらないでもらえるかしら?」 静寂を女性の声が破った。よく通る声に男が背後を振り返る。 そこに居たのは警官だ。顔こそサングラスで隠しているが着ているが、制服はエマが普段から着ているものと同じ、刑事の制服である。 まずい…、 近寄ってはいけないと、早く逃げてもらわなくては。この男は服用者だと彼女に伝えくてはいけないのに、エマの喉から出るのは、血交じりの咳ばかりだ。 怪訝そうに眉を寄せた男が、エマから刑事へと標的を変えた。だが彼女は、サングラスの下で片方の口角を持ち上げにやりと笑ったのだった。 「すぐイライラしちゃうのよ、私」 冷や汗すら流れるエマだが、奇妙さが胸をつく。 彼女のような刑事、居ただろうか?
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