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〇
花岩谷家では、二階の一室が椿の拠点になった。布団のなかに潜り込んで、焦る必要はないと思った昨日の自身を恥じていた。学校生活二日目にして、はやくも学校を欠席しているのである。
三十六度の発熱。
これが学校に行けなかった理由だ。
黄泉の国の住人は、大雑把にいうならば動く死体のようなものである。だから、生きている人間にとっては平熱といえる範囲の体温でも、椿らにとっては体調不良である。
現場である学校にいけないなら、布団のなかで何を考えていても無駄ではないか。毛布にくるまってイザナギノミコトの情報が掴めるならば楽なものだけれど、あいにくそんな簡単な仕事ではないのである。
「椿、入ってもいいかい?」
ノックの音とともに、鶏頭の声がする。
「はい、どうぞ。鶏頭さん、すみません。来ていきなりお世話をかけてしまって……」
「気にしなくていいの。アタシもそうだったから。黄泉の国と違って気温の変化が激しいだろう、ここってば。だから、慣れるまでは風邪とかすぐにひいちゃうんだよ」
「黄泉の国は、暑いとか、寒いとか、ありませんでしたね。母胎のように、ずっと暗くて、ずっとあたたかい……」
「湿気が多くてお肌も潤っていたしねぇ。それが、こっちにきたら乾燥肌で保湿が大変」
「そこらじゅうの岩に苔が生えていましたもんね」
「どこからともなく水音もしていた。陽射しがないから紫外線も気にならないし」
「日焼けしないから肌も青白いままで、髪も痛まないんですよね」
「山ぶどうが食べ放題だから、陽射しがないことで不足しがちなビタミンの摂取にも困らなかった」
「……思い返してみれば、結構いいところでしたよね」
「美容にはね。でも、こっちの果物も最高なんだから、食べてみなよ」
鶏頭は、後ろ手に隠し持っていた盆を椿に見せた。フルーツ盛りだった。桃以外の果物が季節を問わず一枚の皿にのっている。なかでもシャインマスカットのイエローグリーンは、椿にとって、ひと際輝いて見えた。こんなに眩しい色の果物を、椿は黄泉の国では食べたことがなかった。
「鶏頭さん、このぶどう、西洋の香りがします!」
「だろう? もう望郷に浸ってるヒマなんてないってくらい美味しいものも綺麗なものもたくさんあるんだから、はやく風邪治しなね?」
「でも、遊んでいていいんでしょうか」
「お仕事なんだもの。風邪のときくらいお暇いただきたいだろ? アンタも今は休んでいてもいいんだよ。それとも何かい。他の子みたいに消えたいのかい」
鶏頭が口にした他の黄泉の国の住人のことを、椿は聞き逃さなかった。
「黄泉の国の住人だって知られてしまったら、やっぱり消されるんですか?」
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