はじまり

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「生前のことはもうどうでもいいんです。黄泉の国で働いてきた記憶のほうが今は大切だから。でも、これからうつしよでやっていけるのか、ちょっと不安になっちゃいました」  椿の胸のうちに渦巻くものは、夜の森の木々のざわめきに似ていた。あるいは、乾いた枝を踏むような焦燥感である。それは、新生活特有の不安であり、何ら特別なものではなかったのだけれど、そのことに彼女は気付かない。「鶏頭さんは、お仕事どうですか?」 「アタシかい? うつしよの仕事は、慣れちまうくらい頑張れば大丈夫だよ」 「じゃあ、黄泉の国のほうはどうですか……?」 「そうだねぇ。アタシは結果の帳尻さえあっていれば、黄泉の国でのお仕事なんてそれでいいと思っているタチでね。だから、それ以外のところでは好きにやらせてもらっているだけさ。任務さえ完了すればあとのことまで文句を言われる筋合いはないだろうってね」  鶏頭は言った。椿が納得していないような顔をしたので、頭を撫でてやった。 「私は、こんなことをしていていいんでしょうか……」 「イザナギノミコトを探すように命を受けてここに来たんだろう。だったら、当面はそのことだけを考えていれば充分で、合格だと思うけどな」 「でも、普通の高校生になれていません。自分のことが、よくわからなくなってしまいました」 「じゃあ、こういうふうに考えよう。高校生としてイザナギノミコトを探すのがアンタのお仕事で、それを達成できる見込みがあるうちは、よそでアンタが何をしていようとアンタが文句を言われる筋合いなし。自分探しなんて青春っぽくてアタシは好きだな、そういうの。お仕事も自分のことも、全部手に入れるの。女は欲ばりじゃなきゃね」 「……強いですね、鶏頭さんらしい」 「アタシらしいだろ? アンタも、全部手に入れるまで消えちゃダメだよ」 「はい、頑張ります。なんかスッキリしました。熱も下がっちゃったかも」 「そりゃよかった。で、進捗はどうなんだい?」  鶏頭の言葉に、椿は首を傾げた。その様子に、鶏頭は眉をひそめる。「役所勤めの仲間の情報を元に、あの高校へ潜入したんだろ? 何か得るものはあったかい?」 「そんな、まだ一日目ですよ! 二日目は休んじゃいましたし」 「まだ、ね。次はやれるみたいな言い方じゃないか」 「いえ、そんなつもりでは……」 「いいんだよ、それで。自分の進退の心配をするなんて、ここに来たときのアンタからは想像つかなかったもん。成長している証拠だよ。何かきっかけがあったんだろ?」 「……学校で、合コンをしました」 「は? 合……なんだって?」 「そこで、何も言えない私に気付きました。でも、それだけじゃないんです」
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