8話

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8話

○●----------------------------------------------------●○ 1/15 本日、『春雪に咲く花』の方がPV増加数が多かったので、 こちらを更新させていただきます。 動画を見てくださった方、ありがとうございます! 〈現在レース更新中〉 ↓↓以下の作品の1話動画のPV増加数に応じて、 その日更新する作品を決めさせていただいていますm ◆『君がいる光』(幽霊×全盲の青年 ) https://youtu.be/VPFL_vKpAR0 ◆『春雪に咲く花』(探偵×不幸体質青年) https://youtu.be/N2HQCswnUe4 ○●----------------------------------------------------●○ パチリと目が覚め、伸びをして身体を起こす。数日ぶりに感じる健やかな目覚めだった。 横を見ると、折りたたみベッドの近くにはオイルヒーターが置かれていた。どうりで寒くないわけだ。 薄暗い部屋をカーテンからもれる朝の光が、ぼんやりと照らし出す。 家具らしきものは一切なく、直接床にオーディオや新聞、ファイル、本などが散らばっていた。寝室、というよりは仮眠室に近い雰囲気だ。 部屋の端にあるサイクリングマシーンだけが、唯一生活感を漂わせている。 陽向はそろりとベッドから抜けだし、裸足で部屋から出た。 隣の部屋は、二十畳ほどあるひと続きの広い空間だった。 大通りに面した窓側には、木製のデスクと資料棚。その右側には応接用のソファセットが置いてあり、デスクと応接間を観葉植物と籐製のパーティションが仕切っていた。 陽向は、一目でここが気に入った。 おしゃれとは少し違うが、田舎のおばあちゃんちのような温かみがあり、親近感が湧く。家具が木目調や自然素材のもので統一されているのも、居心地がいい。 視界の端で、もぞりと何かが動いた。見ると、茶革のソファの上にこんもりとした山ができている。山はスースーと音をたて、規則正しく上下を繰り返していた。 陽向は足音をたてないように、そっとソファに近づく。 思った通りの人物が、そこにはいた。 寒いのか玄沢は顔半分くらいまで毛布をかぶり、窮屈そうに身体を丸めて眠っていた。 まるで子供のような寝方に、くすりと笑みがこぼれる。ソファの前に膝をついて、しばらくの間眺めた。 どうやらここは、玄沢の探偵事務所で間違いなさそうだ。きっとあのあと、ここに連れてきてくれたのだろう。 (あ~! 本当っ、何であんなことになってしまったんだっ……!) 突然、昨日の出来事がぶり返してきて、自分の腕の中に顔を埋めた。 だが、気持ち良かったのも確かだ。それも、ものすごく。 おかげで身体も軽いし、頭もすっきりしている。腹の中にわだかまっていた怒りや失望なども、欲望とともに吐き出されてしまったらしい。 (……これはもう、荒療治だと思って割り切るしかない。お互いのためにも) 壁時計を見ると、五時半だった。今から出れば、一回ホテルに帰っても、仕事には間に合う。 陽向は置き手紙をソファ前のテーブルに置き、そろそろと部屋を出ようとした。 「……どこへ行くんだ?」 もぞりと山が動いたと思ったら、ソファの上で玄沢が寝返りをうっていた。毛布から顔だけだして、ジッと陽向を見つめてくる。 「え~と、おはよう?」 「……どこへ行くんだ?」 寝ぼけているのか、玄沢の声はかすれてやけに甘ったるかった。陽向を見つめる両の目も、夢心地ようにぽやぽやしている。 今までの厳格な玄沢からは考えられない姿だ。陽向は、笑いを抑えるのに必死だった。 「ええっと、今日は仕事だし、帰ろうかと」 「仕事……」 長い沈黙のあと、玄沢はあぁ、と呟いた。 「そうか……今日は月曜だった……」 玄沢はよろよろと起きあがると、あくびをしながら大きく伸びをした。そのまま立ち上がるのかと思いきや、膝に肘をつけたまま、ぼおっと陽向を見ている。 「あの……大丈夫?」 思わず聞くと、玄沢は眠たそうに瞬きを繰り返し、 「……あぁ」 と、ガシガシと自らの頭をかき回した。 どうやら、玄沢は朝が弱いらしい。 陽向は心の中のメモ帳にそれをしっかりと書き込み、今度こそ部屋を出ようとした。昨日のことがまたぶり返してきて、知らず早足になる。 「色々と、ご迷惑おかけしました。お礼は今度、必ず。じゃ」 「待て」 振り返ると、玄沢がこっちへ来いというように、ちょいちょいと人差し指で合図をしてきた。 普段ならば、こんな傲慢な呼び方されたら即怒るところだが、寝起きだということに免じて許してやる。 ソファの前まで行くと、 「お前……なに、考えてる?」 玄沢は舌足らずな口調ながらも、陽向がたじろぐくらい真っ直ぐな瞳で聞いてきた。 「何って、何が?」 「昨日の話、まだ終わってない、だろう……?」 「あ、あぁ」 そうだった。昨日の夜、海斗の件で玄沢と一悶着あったのだ。 だが、陽向は自分の意見を変えるつもりはなかった。「自分で探す」。これは絶対に譲れない。 しかし、こんな清々しい朝——近年まれにみる清々しい朝に、口論などしたくはない。 陽向は両手を上げた。 「わかった。わかったよ。一人じゃ動かない。それでいいんだろう?」 「本当だな?」 「本当、本当。誓いま——わっ!」 いきなり手首を引かれ、そのまま玄沢とともにソファにダイブしてしまう。二人分の体重を受け止め、ソファがギシリと鳴った。 「ちょっ、玄沢さん!?」 気がつくと、すぐ目の前に玄沢の顔があった。玄沢の逞しい腕が、自分の身体の上に乗り上げた陽向の体重を支えるよう腰に回る。 「——良かった」 ふっと、玄沢は穏やかに笑った。目じりを弛ませた、蕩けんばかりの笑顔。 一瞬にして陽向の心臓が、大気圏を突破したみたいに無重力状態になった。 「ぷ、あはははっ……!」 頬にかかる陽向の髪がくすぐったかったのか、玄沢がいきなり陽気に笑い始めた。 陽向はだんだん怖くなってきた。 「く、玄沢さん……もしかして、まだ寝ぼけてるの?」 「ははは……さあな! ははははっ……!!」 こりゃ、完全に寝ぼけてるな。 玄沢の腕は陽向の腰にがっしりと回り、ちょっとやそっとじゃ外れない。ただでさえ体格差がある上に、あのベッドの周りにあったトレーニングマシーンを見ても、陽向に勝ち目がないのはわかりきっている。 ふと、玄沢の指が陽向の首裏に回った。無骨な指は感触を楽しむかのように、ゆっくりと陽向の肌の上をすべる。 「く、玄沢さん……?」 慌てて顔を上げると、真剣な色味をたたえた玄沢の黒い目と目があった。 「お前が……」 玄沢は、舌を湿らせるようにゆっくりと喋る。 「お前が今まで、自分一人の力で生きてきたのはわかっている。おばあ様がなくなってから、いや、おばあ様と一緒に暮らしていた時から、彼女に心配かけまいと、彼女を守ろうと必死になってやってきたのだろう。彼女を亡くし都会に出てきてからも、誰も自分のことを知らない土地で、気を張って生きてきた。……でもな」 玄沢の喉仏が、ゆっくり隆起する。 「辛かったら、誰かに頼っていいんだ。甘えてもいいんだ」 玄沢の眉が切なげにきゅっと寄り、腰に回った腕に力がこもる。 「昨日も言ったが、お前を見ていると甘やかしたくてたまらなくなる。だからお願いだ。俺をもっと頼ってくれ」 命令でも、叱責でもない。乞うような声に、陽向はぐらりと目眩を覚えた。 何が起こったのか、わからなかった。 気がついた時には、玄沢と唇を重ねていた。 どちらからかは、わからない。ただお互い、吸い寄せられるように近づいていた。 自然に。林檎が木から落ちるように、太陽が東から登るように、何の違和感もなく。 「んっ、ふ……」 触れる程度だけだったものが、徐々に深くなっていく。寒さのせいで冷えきっていた舌が絡みあい、吐息が溶けていく。 その間も玄沢の手のひらが煽るように、陽向の髪をまさぐる。 心地よさに、陽向の喉が鳴る。陽向は少しでも今の距離を崩したくなくて、玄沢の肩口の服をぎゅっと握り締める。 ガンガンと頭の中で警鐘が鳴っていた。このキス一つで、今まで自分が必死に積み上げてきたもの全てが、崩れてしまうような気がした。 人を頼らない自立心。誰かの役に立たないといけない、価値あるものにならなければいけないという強迫観念。 それなのに、玄沢の腕の中にいるとどうしても思ってしまう。 できるなら、このまま何もかも、彼の広い胸やたくましい腕に身も心も委ねてしまいたい、と。 ふと腰に回る玄沢の腕がさらに締まり、二人の身体が密着する。互いの腰骨が当たり、陽向はずくりと身体の奥が疼くのを感じた。 「あっ、玄沢さんっ……俺……」 わずかに身を引いた瞬間、陽向は信じられないものを目撃した。 スー。スー。スー。 なんと玄沢は健やかな寝息をたてて、眠っていた。 陽向はあんぐりと口を開け、何が起こったのかを理解しようとした。ゆっくりゆっくり、笑いが身体の中からこみあげてくる。そして最後には、盛大に吹き出していた。 (そうだ、そうだよなっ! 寝ぼけていただけだよなっ……!) 考えてみれば、当たり前のことだ。 玄沢はゲイではない。酔っていたり、今みたいに寝ぼけていない限り、こんなことはまずありえないのだ。 きっと玄沢も仕事が忙し過ぎて、自分と同じく欲求不満だったのだろう。それが寝ぼけて暴走してしまったに違いない。 陽向は玄沢の身体の上で脱力し、相手の額にデコピンをくらわせた。 「ほんと、あんたが一番ひどい男だよ」 ※ 「いてて」 玄沢は額を押さえた。起きた時からどうもズキズキすると思ったら、額の中心が赤くなっていた。 ため息とともに、車のフロントミラーから視線を外す。 冬返りの気温のせいか、数日前の雪はいまだ溶けず、舗道のわきに高く積みあがっていた。 天気予報によると、近いうちにまた大型の低気圧が都心を直撃するらしい。 シートベルトをかけ、ギアをかけようとした丁度その時、バックミラーにうつった影を見て玄沢は再びため息をついた。 「おい、出てこい」 車から降り、腕を組んだままドアに身体を預ける。 「……うわっ!」 短い悲鳴のあと、電信柱の後ろからバケツがコロコロと転がってきた。大雪の時にどこかの民家から飛んできたものだろう。 しばらくして、同じところから陽向が姿を現した。 「や、やあ、偶然だね」 あくまでしらを通す気の陽向は、明後日の方向を見ながら手を上げていた。 玄沢は肩でため息をつき、大股で陽向に近づいていく。 「一体、どうゆうつもりだ?」 「いやぁ、バレないかと思って」 「バレないかと思って? いっとくが、初めからバレバレだぞ。まったく、どこの世界に探偵を尾行する依頼人がいるんだ」 「やぁー自分の雇った探偵がどこまで優秀か調べるには、これに限ると思いまして……」 バレバレの言い訳に玄沢は上がりそうになる声をこらえ、こめかみを押さえた。 「……仕事は? 休んだのか?」 「半休をとったんだ。有給も結構たまっていたから、いい機会だしまとめてとっちゃった」 「いい機会?」 「うん、海斗を探すのにいい機会」 「ほう?」 静かに睨み付けてくる玄沢に、陽向は素直に頭を下げた。 「ごめん。騙すつもりはなかったんだ! 今だって一人では行動していないでしょ? 我ながら良い考えだと思ったんだよね。玄沢さんを尾行すれば、一人で行動したことにもならないし、かつ海斗を見つけられる」 玄沢から漂う険悪なオーラに気がついて、陽向は慌てて話題を変えた。 「で、何か収穫あった? 俺のアパートを調べていたんでしょ?」 玄沢は怒鳴りつけようと開けた口を、努力のすえ閉じた。そして、いつもの冷静な探偵の口調で言う。あくまで表面上は。 「アパートには、何の痕跡も残っていなかった。住人に聞き込みもしたが、今のところ質屋のトラックを見かけた者以外、目撃者はいない。あの男のことだから、すぐに見つかると思っていたんだが」 「確かに、海斗がここまで鮮やかに逃亡できるとは、ちょっと驚きかも。あいつって目立つから。ほら、ぶっちゃけ、見た目だけは相当いいし? どこにいて何やってても誰かしら目に留めているんだよ。俺もあいつの外見だけは気に入って——」 ギロリと睨まれ、 「……はい」 と口を噤む。 玄沢はため息とともに、首をさする。 「とにかく、近隣の質屋を当たってみることにする」 玄沢は陽向に視線をやると、不服そうに尋ねた。 「……一緒に、来るか?」 「え、いいの!?」 「あぁ。知らないところで、暴れられるよりはずっといい。近くで監視していた方が、俺としても安心だし」 「俺は猛獣か何かか?」 といいつつも、心の中では「よっしゃ!」とガッツポーズをしていた。 「じゃ、さっそく?」 「いや——」 玄沢はかぶりを振った。 「実は、ちょっとこのあと、もう一つ調べることがあってな」 「あ、もしかしてもう一つの依頼の方? 詐欺事件だっけ?」 「あぁ、お前も来るか?」 陽向は、目を丸くした。 「え、いいの? 俺、そっちとは無関係だけど……」 「あぁ。でないとお前、今すぐにでも質屋に行こうとするだろう」 玄沢がにやりと笑った。これには、さすがの陽向も肩を竦めることしかできなかった。
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