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学生時代
ゲーム課金をして、僕はいつも後悔して居た。つまらない、課金しないと欲しいものが手に入らない。それで、手に入れたものをネット上で自慢しても、僕は全然嬉しくなかった。相手も何か白々しいものを感じて居た様だ。ゲーム課金で良く後悔する人たちは、実はゲーム依存らしい。お金を課金した時点で、それはもうゲーム依存らしい。僕は今日も課金して居た。可愛い女の子キャラクターの課金で1500円分を僕は使った。だが、当たらなくて後悔した。また、買うことになるだろうと思うと、ゾッとする。ゲーム課金とはやはり、ゲーム依存なんだ…
でも、なんでそんな当たるか当たらないか、不確かなモノに、くじ引きみたいな不確かなモノに、賭けるのだろう。一体、僕に何が起こったんだろう?自分を振り返るに、無駄な事ばかりお金を使っていた事実が露呈する。僕は、そのキャラが欲しかった訳じゃない。自分が無駄なモノを買っている事に、買い続けている事に、それが買っても、心の充足感が満たされずに居る事が問題だったんだと想う。本は好きだが、過程を楽しむより、結末重視だ。現に、トレンドランキングが、高い人の小説を読んだけど、非難轟々なのは、それだけその作品が優れているからだ。だから、僕はその小説家は、文学として成立している事が素晴らしいと想っている。優れた文学作品と云うのは、自分の欲望をいなす効果がある。不倫などを描くにしても、ただ欲望のままに行動するわけではなく、如何に不倫というモノが悪だと教えてくれる、人と人との繋がりが、薄れて、疑心暗鬼になっている現代の世界に警告を発しているのだ。僕は、その文学は素晴らしいと思った。モノを買うにしても何にしてもそうだが、買って後悔したモノは、大した事が無い。僕が、持っているモノは、その殆どが悲しい事に必要のない本達だった。だから、僕は、心の充足感を埋める事を、殊更願って居たのだろう。それを満たすには自分を現す事しか、満たされないだろう。作家になれて良かったのは、自分がそれを可能だからだろう。何かを見て、何かを感じる。それを評価する事も可能だし、それは余り良くないんじゃないかな?と冷静に物事を考える事が出来る。それは、文學というものが、自分にとって如何に重要なのかを言い表している。
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