56人が本棚に入れています
本棚に追加
「さっきの、知ってる人?」
一歩一歩安全を確認するようにゆっくりと石段を降りながら、悠馬さんが言った。何気ない風の質問ではあったが、そこには確信めいた響きがあってどきりとする。何と言うべきか迷って言葉に詰まったのを、質問が上手く伝わっていないと受け取ったのか、再び彼は言葉を紡いだ。
「さっき架純がぶつかった、男二人組の、ぶつからなかった方」
「頭がこんがらがりそう」
乾いた喉で、笑いながらとりあえず反応する。そんなのは求めていた答えじゃないくせに、悠馬さんは肩をすくめながらははっと声を出して笑った。
多分彼の中には答えがあって、彼はただその答え合わせをしたかったはず。でももし私がこのまま流してしまえば、彼はこれ以上突き詰めてはこないだろう。優しくて大人なのだ、悠馬さんは。私より五歳も歳上で、いつだって私を包み込む余裕を心に持っていて、喧嘩だってしたことがない。
瞬とは、全然違う。
思うのと同時に、さっき見た瞬の姿が浮かんだ。すぐに目を逸したはずなのに、まるで写真で切り取ったみたいにくっきりと映像が残っている。最後に見た卒業式の時よりも落ち着いた色の髪が少し伸びて、服装も変わっていて、なんだろう。どう見ても瞬なのに、私の知らない社会人の顔をしていた。
心に靄がかかるのと同時に足がもつれる。私の体の傾きをすぐに察した悠馬さんが、私を支えた。
「大丈夫?」
近づく心底心配そうな顔。ほれ見ろとか、言わんこっちゃないとか、俺が腕くんでやっててよかったろ、なんて、この人は言わない。この人は言わないなんて考えてしまっている時点で、私はまだ瞬のことを考えてしまっている。大丈夫だよと頷きながらも、抱きとめられた腕をつかむ指先に自然と力が入る。
「どうして知ってる人だって思ったの?」
「え?」
「さっきの質問」
合点が行ったように「ああ」と声を漏らしたあと、悠馬さんが少し困ったように私を見つめた。
「顔、引きつってたから」
「……ほんと、悠馬さんには隠しごとができないな」
苦笑しながら悠馬さんの腕に自分のものを絡め直す。今度は私から石段を降りながら、前を向いたまま何でもない風に言葉を放つ。
「あれ、例の元彼。卒業式以来だった。こんなところで会うなんて思ってもみなくて、驚いちゃっただけ」
そう、ただ驚いただけ。そのはずだったのに、傍から見て引きつった顔をしてしまっていたということは、私はまだ自分が思っている以上に高瀬瞬のことを消化しきれていないのかもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!