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8話(終わり)
店中に入ると赤坂くんが段ボールを開けてビールを陳列していた。以前は毎日のように見ていた光景だ。副店長になっても変わらない姿に安心した。
奥さんがいる人だから諦めなきゃいけないのに。でも見てるだけならいいよね……。
すると私に気づいた彼が、あっ!と声をあげて近づいてくる。
「お久しぶりです、お仕事ですか?」
「えっ、ええ。こっちで働くようになったので」
覚えててくれた。ダメだと思うのに、胸がドキドキする。
「僕もです。独り身だと簡単に異動させられますよね」
そうですね。ん、んん?今なんと?
「赤坂さん栄養士の人と結婚してるんじゃ……」
あれっと言う彼の顔に、自分がやらかしたことに気づいた。
「いえあのっ。前に肉じゃがの奥さんに指輪見せてて、栄養士だって人が同じ指輪で、旦那さんがまーくんで……って。あっ、私何言ってるんだろ」
(うわー、どうしよう)
「名前……」
「あっ、入り口の掲示板見て……」
これストーカーですか?
「しょういち、って読むんです。正しいと思うことを一番にせよって父が。友達にはロクって呼ばれてますけど」
ピンと来ない私に彼は空書をする。なるほど!数をかぞえる時の「ろく」ね。
「あの奥さんが前日に明日写真持ってくるって言うので、ベーカリーコーナーの政志に指輪借りたんです。結婚してるって嘘は言いたくなかったので、指輪見たら察してくれれるかと思って」
ああ、そういうこと!まさしさん「まーくん」ね。
(え、もしかして私、この恋諦めなくて良かったの?)
「──好きな人はいるんです。でも交わした言葉も少なくて、名前も知らないから」
あ、ありゃりゃ。なんだ結局失恋かぁ。天国から地獄ってのは言いすぎだけど、心が忙しい日だなあ。そう思っていると彼が私を見てくる。
「だから……名前、教えてもらえませんか?」
「えっ、私、私の?」
(赤坂さんの好きな人って、もしかして)
幼く見えた彼が私を真っ直ぐに見つめて頷く。大人の男の人の目だ。
「初めはきれいな人だと思って見てたら、さりげなくレジで順番譲ったりお菓子を棚に戻してくれたり、届かない人に高いところの物取ってあげて優しいなって。ほんとは店員が先に気づかなきゃいけないんですけど。それで毎日来てくれるの楽しみにしてました。ストーカーみたいですね僕」
恥ずかしい、でも嬉しい。私があなたを見ているように、あなたも私を見ていてくれてたなんて。
「松岡ふみ乃、二十九歳になりました。両親が雑誌の文通欄で知り合ったから、ふみ乃です」
「なるほど。うーん、僕の方が一つ年下なのか……」
やはり年下。初めは十歳下だと思ったからまだ良かった。その時後ろから声がした。
「お店で聞いてここだって言うから来たら、お姉さん彼氏とデートなの?」
いつかのギャルメイクの高校生が、今日は落ち着いた服装とメイクでこちらを見ている。
「あ、違うの。知り合いに久しぶりに会ったから」
違うんですか?としょんぼりする彼。やっぱり可愛い、頬が緩んでしまう。
「彼女、前の店舗のお客様なんです」
そう言うと赤坂くんがへえと驚く。
「そん時は何も買わなかったけどさ、今日はお給料貯めて買いに来たんだ。前のとこ行ったら感じ悪い店員が個人情報がどうとか言ったけど店長さんがここ教えてくれた。いつも休みはド派手だけど、お姉さんに見てほしくて」
(郷田さんだな。すごいなあ店長、私も今の子達を育てて行かなきゃ)
「わざわざ遠いのにありがとう。きれいですよ、お勤めは順調ですか?」
「うん、介護施設で働いてるんだ。今は安いお化粧品だけど、お姉さんに教えて貰った通りにしたらおばあちゃんたちに上手だねって言われる。いつかお姉さんもうちに来てほしいな」
学生時代にボランティアでデイサービスのお年寄りにお化粧したことがある。みんな少女のように喜んでくれたっけ。
「いいわね、ぜひ伺いたいわ。じゃあ、お店戻りましょうか」
「いいの?」
「ええ、お昼ごはんはまたあとで」
「じゃなくてそこの人」
赤坂くんを指差す。
「あ、いや僕は……」
彼が照れくさそうにしている。
「また来ます」
「そうですね……はい、お待ちしています」
私の言葉に頷いた彼が、笑顔で応えてくれる。もうお互いこっそり見なくていいんだね。
ママになったミキに赤坂さんのことを話したらすごく喜んでくれた。隣の県にお嫁にいったミキ。実は今の勤め先からだとわりあい近くて、子供を連れて時々会いに来てくれる。今でも大事な親友だ。
正一くんとつき合うようになって二ヶ月、こっちでアパートを借りてる彼のところに泊まる日もある。暑くなって、本当はキンキンに冷えた炭酸ジュースが好きだと言ったら「そうだと思った」って笑ってた。
自分の仕事が終わって、彼が働くお店に向かう。
あなたの顔が見たいから、会ってたくさん話したいことがあるから。
今日もあなたに会いに行く!
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