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2.イキザマ
「ちょっと温かいかもね」
「顔も首もちくちくするけど」
初めはひんやりした牧草がだんだん体温に馴染んでくると、三人は『死』から『生』のほうを近く感じた。
「気を紛らわすために、しりとりしませんか?」
「いやよ。しりとりなんて」
鈴木女子の提案をあっさり却下したお嬢、中島由貴は自慢の長い黒髪を首に巻きながら『トイレに行きたくなったらどうしよう』という不安しかない。冷蔵室の隅っこで用を足す、なんてことを想像し、それなら死んだほうがマシだと思い始めた。
「私、このまま死んでもいいかな。どうせ出られたとしても、役員たちに相当怒られると思うし」
そう言って、顧客名簿を机の上に広げたまま来たことを思い出し、少し気になった。
「私は死にたくないです!」
二十二歳で死ぬ運命を受け入れるわけにはいかない鈴木女子は、自分自身を抱きしめるような格好で丸くなった。
「死ぬも生きるも、自分たちじゃ選べないわね」
悟ったようなことを言いながら、局はお昼休憩に温かい麺類が食べられないことを悟った。
「もし、私たちがここから出られたとして。そして役員さんたちにめちゃくちゃ叱られるとして。何か暗号みたいなこと、決めておきませんか」
「暗号?」
「そうです。たとえば、私が髪をかき上げたら『話を合わせてください』っていう意味とか」
「使うことある?」
お嬢は冷たく訊く。
「ないかもしれないですけど、そういうの決めておくのって、なんかワクワクしませんか?三人だけに分かる暗号」
「ポケットの中の物をばらまくとか?」
局の発想はどこか使いにくいが、
「そういうことです!下山先輩がポケットの中の物をばらまいたら、私は下山先輩の発言に合わせます!」
鈴木女子の声は弾む。
「ポケットの中なんて、何かあります?」
お嬢は制服のポケットに手を入れて、ハンカチの一枚
もないことを確かめて言った。
「私はあるわよ。ハンカチでしょ、それに……あ、いやだ。車の鍵」
無意識にポケットに入れ、一度トイレに落としそうになったことがあった局は、別の深いポケットに鍵を移した。
「私もありますよ。ほら、キャラメルと……チョコレート……?きゃあ嬉しい!食べましょうよ」
お互いの腕の位置を確認しながらキャラメルとチョコレートを分け合うと、三人はチョコレートをほおばった。
一口大のチョコレートが口の中で溶け終わってしまうと、鈴木女子はぼそっと
「こんなことになるなら、一度くらい一緒に食事したかったな」
と言った。
「好きな人でもいるの?」
他人の恋バナが大好物のお嬢がすかさず訊く。
「聞いてくれますか、私の生き様」
イキザマとは、とんでもない単語が飛び出てきたもんだ、と局は思ったが、
「聞く聞く、鈴木君の生き様」
お嬢は目を輝かせた。
「曽根さんに、今度美味しいお店に連れていってもらうはずだったんです」
生産部のリーダー曽根辰哉。年齢はお嬢と同じくらい、がっちりした体型でバリバリ働く上に、いつも笑顔で優しい青年だ。
「美味しいお店って、デート?」
「はい。お昼休憩のラーメンデートです」
多分それはただのお昼ご飯だよ……と二人は思うが口には出さない。
「曽根さんのことが……?」好きなのね。
「男同士だし、曽根さんは私のことはただの後輩としか見てくれていないですけど。でもこのまま死んじゃったら、私が曽根さんのことが好きだっていう想いまで消えて無くなっちゃうじゃないですか」
お嬢も局もきゅんとした。
「聞いた聞いた。私たち、ちゃんと聞いたよ。鈴木君が曽根さんのことを想ってるって、私たち二人が証人だよ」
「そうそう。生きて出ようよ。ラーメンデート、しなよ」
鈴木女子はうなずいて、「はい」と言った。
「中島先輩と、下山先輩も話してくださいよ。生き様」
「そんなのないわよ」
「ええっ?秘密を打ち明けたの、私だけですか?ズルいです!」
「ズルくないよ。鈴木君が勝手に話したんでしょ」
「中島先輩、冷たいです!」
「じゃあ私……話してもいい?」
局の声に、二人は言い合いをやめて耳を澄ます。
「私、大学生の男の子と、毎週ご飯に行ってるの」
「大学生…」
「それってママ活ですか?」
お嬢でさえためらった言葉を、鈴木女子はあっさり投げかける。
「若い男の子と一緒にご飯食べるのをママ活っていうの?」
「いえ……そうとは限らないと思うけど」
お嬢が言葉を濁す。
「ご飯を一緒に食べるだけですか?」
「映画を観たこともあるし、ご飯の後にドライブもするけど」
「若い、大学生の、男の人と?お金を払って?」
まだ気を使うことを知らない鈴木女子は、ずけずけと訊き、お嬢ははらはらしながらも興味津々に耳を澄ました。
「もし私が結婚していたとして、子供がいたとしたら、こんな息子がいたのかな、なんて。だけど子供に対する感情なんて知らないから、この『可愛い』って思う気持ちがそうなのかも分からないの」
先ほどの鈴木女子の『生き様』もなかなかだったが、局の生き様もなかなかだ。
「絶対誰にも知られないように、って思っていたけど、本当は誰かに知って欲しかったのかもね。私があんなにカッコイイ大学生とご飯行ってるんだ、ってこと」
「カッコイイんですか」
「ものすごく!」
暗くて見えないが、局の満面の笑みが目に浮かぶ。
「次は中島先輩の番ですよ!」
「だから私は話すことなんかなんにもないって」
「ズルいですよ。私と下山先輩は話しましたから」
「それはお二人が勝手に話したんでしょ!」
二人のやり取りをよそに、局は大学生のことを考えていた。
毎週木曜日に会う約束をしている。
連絡先は交換していない。
もしここで私が死んだら、次の木曜日にいつもの待ち合わせ場所に私が現れないことを槙島君はどう思うのかな。
『……木君!……鈴木……!……鈴木君!』
「声がする!」
三人はそれぞれ、冷蔵室のドアを思い切り叩いた。
「ここです!」
「開けて!開けて!」
「そこのアナタ!」
『鈴木君か?』
ガチャ、と軽い音とともに扉が開いた。まぶしい。まぶしくて目が開けられない。
三人は目を閉じたまま、牧草まみれで並ぶ自分たちの姿を想像した。
「三人とも、なにやってるんですか?」
「曽根さん?」
少し目が慣れてお嬢と局がうっすら目を開けて見ると、牧草まみれの鈴木女子が、どさくさに紛れて曽根辰哉に抱きつくところだった。
「曽根さん、ありがとうございます!私、凄く怖かったんです」
曽根辰哉は鈴木女子の冷えた肩をさすりながら
「みんな、ひどい格好ですよ」
と言って、同じ姿をした二人の事務員たちを見て笑った。
私たち助かった、んだね。
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