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1.冷蔵室、にて。
同じ会社の三人だった。
年齢もさまざま、所属部署も違う三人は、会えば挨拶、余裕があれば世間話をする程度で、これといった接点もなかったのだが、今ここで一緒に生死をさまよっている。
「いやだぁ、私まだ死にたくないです!」
二十代前半の鈴木女子は、寒さのあまり歯を時々かちかちと鳴らしながらそう叫んだ。
生産部所属で野菜栽培を担当し、着ている薄ピンク色のつなぎの作業着はかなり薄手だ。
「まだ死ぬとは限らないわよ。大丈夫よ、きっと」
経理部、四十代後半の局は暗闇の中、できるだけ明るく振る舞おうとする。ポジティブというよりは、あまり深く考えないタイプのようで、鈴木女子を励ましながら『お昼ご飯は温かい麺類にしよう』なんて考えている。
「もうダメです!こんな薄着で冷蔵室に閉じ込められちゃうなんて、凍死確定ですよ!」
「きっと誰かが気づいてくれるわよ」
「定休日だし、私たち以外は誰もいませんよ!」
二人のやり取りを黙って聞いていた、三十代半ばのお嬢は、お店の顧客名簿を整理するために休日出勤したことを後悔しながら、
「……ムダな体力は使わないほうが賢明です」
とささやき、二人をおとなしくさせた。
暗闇に歯のかちかち鳴る音だけ聞こえる。
地元では少し有名なお店『ファーミングショップ』。
広い敷地内にヤギや馬やうさぎを飼い、同じ敷地や離れた圃場で米や野菜や果物の栽培をしている。グランピング施設のほか、フルーツ狩り、農家レストラン、カフェ、雑貨屋、パン屋に生鮮食品館と、一日中いても飽きない造りになっており、平日でも観光客が多い。
今日は月に一度の定休日だった。
販売部のスタッフは不在、生産部はそれぞれ持ち回りの圃場に出ている。
経理部にいたっては、もともと一人しかいない。
今日が定休日じゃなかったら、販売部のスタッフが大勢いたのに、と悔やむ。
いや、そもそも定休日でなければ、三人が冷蔵室に閉じ込められるようなことはなかったのだけれど。
最初に閉じ込められたのは鈴木女子だった。
月イチの定休日に、敷地内で飼う動物たちの世話を頼まれたのだ。
生産部の朝礼が終わると、動物たちにあげるための野菜や牧草を取りに冷蔵室の鍵を開けた。
「人参とりんごと、あと牧草…あった!」
そんなひとりごとを言いながら、牧草の袋に近づいたときだった。
ばたん、と扉が閉まり、真っ暗でよく冷えた冷蔵室に閉じ込められてしまったのだ。
「え?」
鈴木女子は一瞬ぽかんとし、次に手に持っていた人参やりんごを放り投げ、扉に体当たりした。
「開かない…」
暗闇で顔が青ざめる。
残念ながら、鈴木女子がこんなところに足止めされていることに気がついてくれるような相棒はいない。
唯一、気がついてくれるとしたら、動物たちだ。
彼らなら、なかなか餌が運ばれてこないことに気がついてくれるはずだ。
「ポニーが気づいてくれたって、ムダだってば」
そんなひとりごとをつぶやく余裕もだんだんなくなってきた。
『……ません』『……ませんよ』
外から話し声が聞こえた。人がいる!
鈴木女子が助けを求めようとした時、外側から冷蔵室の扉が開いた。
開けたのは販売部の事務員と、経理部の事務員だった。
どうやら荷受けを頼まれていたらしく、受け取った野菜を冷蔵室に運び入れるところだった。
「事務の先輩方、助かりました!」
誰もいないはずの冷蔵室の暗闇から聞こえた声に、事務員の二人は腰を抜かすほどに驚き、持っていた野菜のダンボールを落とし、おまけに押さえていた扉から手が外れてしまった。
ばたん、と扉は再び閉まった。
「え?」「え?」「あ…」
「うそでしょ?うそですよね?せっかく助かったと思ったのに、どうして閉めたりしたんですか!」
再びの暗闇で、鈴木女子は二人の先輩事務員をののしった。
「…もしかして鈴木君?」
顔は良く見えなかったが、この声と一瞬だけ見えた薄ピンク色の作業着は生産部の女子力の高い鈴木慎一郎ではないだろうか。経理部の局、下山冴子は声がしたほうを向いて訊ねた。
「内側からは開けられない仕組みになってるんですよ!」
鈴木女子は構わずに先輩たちを責める。
「だってこんなところに鈴木君がいるなんて思わなかったから……なんて言い争ってる場合じゃないわね。どうしようかしら」
「もうダメです!こんな薄着で冷蔵室に閉じ込められちゃうなんて、凍死確定ですよ!」
「きっと誰かが気づいてくれるわよ」
「定休日だし、私たち以外は誰もいませんよ!」
「……ムダな体力は使わないほうが賢明です」
お嬢の一言でおとなしくなった鈴木女子は、歯をかちかちさせながらすすり泣きを始めた。
しばらくして泣くのをやめた鈴木女子は、手探りで冷蔵室の奥へ進んだ。
「な、なに?」
真っ暗なため、気配でしか分かることのできない相手の動きに局とお嬢は戸惑った。
「牧草です!もしかしたら、温まれるかもしれません!」
暗闇でときどき何かにつまづきながら、予想した場所に辿り着くと、鈴木女子はためらうことなくガサガサした袋を掴んで先輩事務員たちに向かって中身をぶちまけた。
「きゃああ」
何も見えないところで、いきなりちくちくしたモノが頭から全身に突き刺さるように被せられ、事務員たちは悲鳴をあげた。
「何すんのよ!」
お嬢が叫んだ。
「三人でくっつきましょう」
寒さで反論する気力のない局は、言われるまま手探りで誰かの隣に並ぶ。お嬢だ。
その後で鈴木女子がもう一度、牧草と空袋を上から被せて局の隣にくっついた。
牧草を全身にまとった三人が、背中合わせで円を作って立っている。真っ暗で見えないが、お互いの体温を少しずつ感じ始めていた。
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