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その6-2
「だからさぁ.......この世界にも鍋を広めようよ」
はふはふと口元から白い息を吐きながら、宮さまが箸を振り回しながら言う。ここは都の北、俺の親友、賀茂康賢の屋敷の庭。
目の前には、石を囲んで作った急ごしらえの炉の上に、超高級品の鉄鍋が乗っている。鋳物師の女房殿の病を治した報酬に、康賢が特注で作ってもらったのだという。
ー鍋が食べたい!ー
という宮さまの希望に、
ーいいですねー
と賛同した康賢が用意したのだ。
「鍋が食べたいって、鍋自体を噛るわけじゃないから......」
固まる俺に苦笑いしながら、康賢は鉄鍋に水を張り、醤や塩を足し、水が煮たったところで、薄く切った鴨の肉を入れ、皮を剥いたクワイを投入。浮いてくる茶色い泡を掬いながら、頃合いを見て、適当に切った大根や葱や芹を入れていく。昨日、山で取ってきた茸もふんだんに追加された。
「喬望は、まだ鄙に行ったことは無かろうし、野営もしたことが無いから経験も無かろうが、美味ぞ」
椀に掬った汁を味見して、宮さまが諾と言ったところで、床几で待ち構える宮さまに大きめの木椀に具材を盛って、康賢が手渡した。
「喬望も食え。膳の飯と違って熱いから気をつけろ」
ずぃと差し出されたそれを両手に受けとると、白い湯気がたっていてほんのりと温かい。
「充分に火は通っているから、大丈夫だよ」
康賢が鍋の湯気の向こうで微笑む。
凝視する四つの眼の前で、そうっと椀に口をつけて、ゆっくり汁を啜れば......。
「熱ちっ!.......けど、美味い」
美味いんだ、これが。鴨や茸からいい味が染み出ていて、なんとも言えず複雑な味になっている。
「具もちゃんと食えよ」
にこにこしながら、宮さまがお代わり、と言いながら、康賢に椀を差し出す。片手には椎葉に包んだ姫飯の握ったもの。
三人の傍らには簡易な台が置かれ、椀や飯を置けるようになっているのが、康賢の気のきいたところだ。
「喬望は?もう少し食うか?」
「.......貰おうか」
なんとなく、おそるおそるだが椀を差し出すとこんもりと菜を盛って返してくれた。
「どうだ。暖かい飯は美味いだろ?」
俺はこっくりと頷く。
「康賢は、いつもこんな飯を食っているのか?」
と訊くと、ははっと目尻を下げて小さく笑った。
「鍋は一人で食っても美味くない。みんなで食うから美味いんだよ」
康賢の言葉に宮さまも大きく頷いた。
「俺はさ、前世でも親がロクデナシだったから鍋なんてしたことなくて、いつもパンとかコンビニ弁当がテーブルの上に乗ってただけだった」
ぼそりと言う宮さまに、康賢が眉をひそめた。ひどい親御だったってことか。
「でも、やさぐれて転がり込んだアニキが結構、優しくてさ。飯とか作ってくれて。......俺が刺された時も、相手半殺しにして、救急車呼んで......来るまでじっと俺を抱きしめて、『しっかりしろ.......』って。自分が捕まるのわかってて......」
宮さまの声が半分涙声になった。ぐいっと袖で両目を拭う。まぁ高位貴族にあるまじき行為だが、見ない振り見ない振り。
「そのアニキというのは何歳くらいの人だったんですか?」
康賢が炉に薪を足しながら言う。パチリ......と火の粉がはぜた。
「十六歳......だったかな。もうすぐ十七だって言ってた」
子どもじゃん。俺だって、やっと加冠の儀、終わったばっかりだよ。まるで、橋の下に身を寄せ合っている子らと変わらない。
そんな不遇な過去世だったなんて、すごく宮さまが可哀想。
「あっちで幸せになってくれるといいですね」
康賢の言葉に宮さまがこっくりと頷いた。
「きっとなってる。絶対だ」
宮さまは優しい。腕白だけど、すごく気持ちは優しい。
「お代わり!」
「はい」
照れ隠しのように椀を差し出す宮さまに、|康賢がにっこり笑う。
「喬望は?」
「うん。もらう」
初めて食べた鴨鍋は暖かくて、何故かひどく懐かしい気がした。湯気の向こうに見たことの無いはずの女性と幼子の微笑が浮かんで、消えた。
「あ、雪......」
ふわふわと...ゆらりと零れ落ちる風花がまるであの夢のようだった。
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