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その6-3
俺には幼い頃からよく見る夢があった。
低い卓を囲んで、向き合うあちらで女性と幼子が笑っている夢。
そして、いつの間にか二人の姿は消えて、卓の上に白い紙が乗っている。
俺はその紙を握りしめて、涙を溢しながら、それでも、
ーこれでいい。これでいいんだ......ー
と何度も呟いている。まるで自分に言い聞かせるように.....。
「喬望、喬望......」
ふっ......と我れに還ると宮さまが俺の顔を覗き込んでいた。しなやかな手指が俺の肩をゆさゆさと揺すっていた。
「あ、みっちゃん......」
「勉学の途中に居眠りとは余裕だな。しかも眼を開いたまま......」
「いや、居眠りなど......」
ふるふると頭を振る。
「まったくお前は......」
「いてっ......」
溜め息混じりに扇でパシリと俺の膝を叩くのは、俺の二番目の兄上、藤原雅望。大学寮でも有名な堅物。文官の鑑みたいな人。
今日は兄上の監督下で宮さまと漢学のお勉強なぅ。
「まぁそんなに怒らないでやってくれ。雅望。喬望は、毎日、爺さまにしごかれておるゆえ、少し疲れておるのだろう」
優しい宮さま。でも、少し疲れてるなんて生易しいもんじゃないんですけど?毎日しごき倒されて、身体中、あっちこっち痛いんです。それでも、三本に一本は取れるようになりました。ふんす!......まぁ十三歳の子ども相手にですが。
「まぁ鍛えていただくのはいいんですが、勉学もきちんと頭に入れさせないと......。いずれは東宮さまや宮さまのお側に上がるのですから、少しも使い物になるようにしないと」
「使い物って.....」
わかっちゃいるんだけど、雅望兄上は人間関係が苦手。目指すは参議ー親王様の教育係だそうな。なんとか大臣なんて絶対嫌なんだって。まぁそうだよな。
あのコミュお化けの尚隆兄上でさえ、康賢特製の胃薬飲んでるもんな、こっそり。
そんな魑魅魍魎の集団の中に俺を投げ込もうとするの、イケズ過ぎない?もしかして生け贄とかいうやつ?
「それ以前にそんなに呆けていると、鬼に喰われるぞ」
真顔で眉をひそめる兄上。またまた~、鬼なんているわけないでしょ、この都に。
「鬼がおるのか?どこじゃ?!」
兄上の発言に目をキラキラさせる宮さま。目一杯、食いついてます。ステイ!落ち着いて!
「何処とは存じませんが......」
もっと難しい顔になる雅望兄上。
「見たという者がおります」
「何処で?」
「内裏で......でございます。隠密頭の呪に怒りの眼で西に飛び去ったとか」
「真か?!」
宮さまの言葉に不承不承、頷く兄上。その表情からして、なんか曰く付きっぽい。
「まぁ、まずは追儺の夜にはよくよくとお気をつけあそばして......」
兄上はそれだけ言って、また論語の解題に話を戻した。
そして、後から俺にだけこっそり告げた。
ーあれは鬼というより、陰魂、怨霊だ。宮さまが無茶なさらぬよう、よう見張っておれー
俺は生唾を呑んで、黙って頷いた。
怨霊なんて、俺の守備範囲外だ。康賢に相談するしかない。
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