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その7-1
「内裏の陰魂......ですか」
康賢が気怠そうにこちらに視線を投げた。
今日は宮さまは東宮さまと親王さまに捕まっているから、こちらには来ない。......って中宮さまに内緒で足止め頼んでおいたんだけどさ。
「聞きませんね......」
ぱたりと読んでいた書物を閉じて、康賢が小首を傾げる。
「そうか......。雅望兄上が言っていたんだが......」
「......雅望さまが?」
こっくりと頷くと、康賢の表情が如何にも怪訝そうなそれに変わった。
「雅望さまがそのような戯れ言を仰せになるとは思えませんが......」
「だろう?」
何せ兄上は堅物だ。冗談など今まで一度も聞いたことがない。これは本当。上の兄が軽口を叩くと嫌そうに眉をしかめるくらいだ。
「だが、父のもとに陰魂祓いの依頼が来たのは後宮絡みの話ばかり.......。雅望さまがお気になさるような話はありませんが」
既に完了してますし、と康賢はますます首を傾げる。
「じゃあ、兄上はなんでそんなことを言ったんだろう......」
しばらく二人して考え込んだ。庭の南天の枝の雪が軽い音を立てて落ちた。ツグミがパサリと軽い音を立てて飛びさる。......と、康賢がふぃ、と顔を上げた。
「.......雅望さまは、大学寮にお勤めでしたね」
うん......と俺は小さく頷く。一昨年成人され、大学頭補佐に就任された四の宮さまの守役でもある。幼馴染みともいう。堅物同士で気が合うらしい。
『二人の間に挟まった日には肩がバキバキになる』
上の兄上が大袈裟に首を鳴らしながら言ってたな。
「なんかあるのか?」
尋ねる俺に康賢が、薄い藤色の表紙の冊子を取り出した。それ、後宮で流行ってる薄い本じゃないよね?
「違いますよ.......もっと昔の大学寮の方の日記です」
康賢が小さく苦笑いながら、俺の膝元にそれを置いた。
「日記?......大学寮の人の?」
なんで?
「あまり外に出したくない内容もあるそうで......。もっとも、後宮の腐った女御さま方には有名な伝説ですが」
あ、なんか嫌な予感。
「先代の帝の四の宮さま......今上帝の弟宮さまとある方の悲恋の物語をご存知ですか?」
あ、やっぱり。
「知ってるよ。霞藍の君と真木の参議の話だろ」
俺はふぅと小さく息をついた。
先帝の四の宮さまは別名を霞藍の君と言われた美貌の宮さまだった。儚げで憂いを帯びた佇まいが美しいと評判だった。ま、みっちゃんとは真逆なタイプの美少年。
真木の参議はその教育係だった当時の大学頭。
お年頃になった。霞藍の君さまが恋慕ったのは、なんとその真木の参議。二十歳も年上の謂わばオッサン。
これを知った父の先帝は頭を抱え、参議自身も身を引くべきと決めて、外国への留学生となった。
霞藍の君はこれをひどく嘆いて、病に倒れて亡くなった。
けれど真木の参議への想いを断ち切れず、参議を探して宮中をさ迷い歩っているという話。
「この日記によると、十年して、外国から帰ったら必ずお迎えに上がりますから......と参議は霞藍の君に誓ったそうです」
康賢は冊子の後ろの方の頁を開いてみせた。
「え?両想いだったの?」
「さぁ......」
康賢は軽く肩をそびやかした。
「だが、十年経っても参議は帰って来なかった。......帰国はしたが、重い病に罹っていて、都に至ることも出来なかったんです。故に霞藍の君の御霊は、今も真木の参議を探してさ迷っているという話です」
「そんなことを言っても、亡くなってしまったものは......」
「一方、参議の御霊も。霞藍の君を探してさ迷っているという話もある。都に入ることが出来ずに南門に佇む陰魂の姿を見たという話が山ほどあります」
「ふぅん......伝説かと思ってた」
「だから悪さをする訳じゃないんだけど、追儺の夜、霞藍の君の御霊が橘の木の下で慟哭する姿を見たという話がちらほらある。相手は宮さまだし、悪さをする訳じゃないから、特には何もしてない」
「鎮めとかしないの?」
「相手は皇族ですよ?......それに誰もが見える訳じゃない」
康賢が小さく首を振った。
「なんか条件あるの?」
「霞藍の君の姿が見えるのは男だけ。しかも特定の人物だけらしい」
「特定って?」
俺の問いに 康賢はちょっと躊躇いながら答えた。
「互いに想いを抱いている存在がいる者......だけらしい」
「え、それって......」
まさか.......あの雅望兄上が恋してる?
そっちの方がビックリだわ。
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