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その7-2
薄い腐ってない冊子を前に俺たちは深い溜め息をついた。いや、記録をした奴がたまたまその傾向が無かっただけで、中身は充分に腐っている気もするが、実態がそれだったんだからまぁ仕方ない。
「で、どうする?」
と上目遣いに俺を見上げる康賢。お前、睫毛長いな。
「どうするも......」
長い指が墨跡を優しく撫でるように辿るのを見るともなく眺めながら、俺は無い頭を巡らせた。
「祓うような陰魂では無いわな、確かに......」
出来れば、そっとしておいてあげたい。それが人の情けってもんだ。
「でしょう......」
康賢がこっくりと頷く。
......と、そこにけたたましい足音と、ばさりと乱暴に御簾を跳ね除ける音。
「まぁた密談か、喬望!」
「宮さま......」
足音は静かにね、仕種には心をちゃんと用いて。殿上人なんだから。
「ご退出なされましたか。......親王さまのお相手、お疲れさまでございました」
慇懃に頭を下げながら、ちょっとだけ心の中で舌打ち。中宮さま早いよ。午後いっぱい足留めしておいてって頼んだのに。
「本っとに幸の相手は疲れる。......眠った隙に逃げてきた」
どかっと無造作に座り込むみっちゃん。だからね、動作はゆったりと。美少年なんだから、それっぽくね。
「草紙の読み聞かせを散々ねだられた。......喬望、お前の差し金だろう」
「何のことでしょうか......」
切れ長の目がジロリと俺を睨む。
いいじゃないですか、親王さまはみっちゃん大好きなんだし、鶯のような綺麗なお声なんですから。女官達もさぞや癒されましたでしょう。
「俺に隠れて、こっそり鬼退治の相談なんて、ズルいぞ」
いや、してませんてば。第一、あの鬼は.......。
「宮さま、世には祓うべき鬼とそうでないものとがおります」
観念した康賢が、丁寧に穏やかに霞藍の君の恋物語を説いて聞かせた。
宥めすかすように諭す康賢。宮さまが、不満げにうぅぅ.......と唸る。
「......だからね、祓うなんて可哀想なことをしちゃいけないんです。人畜無害なんだし......そっとしておいてあげましょうよ」
おそるおそるながら加勢のだめ押しを口にする俺。
宮さまは式神のお姉さんが運んできた白湯をくっと飲み干した。
「ならば、成就させてやればいい」
「へっ?」
思わず変な声のでてしまった俺を横目でチラリと一瞥。
視線を戻した宮さまは口をへの字に結んで庭の南天の赤い実を突っつくツグミを見つめて、続けた。
「参議に想い人に会いたくて、あそこに凝っているなら、会わせてやればいいじゃないか」
「会わせる、って.....相手は御霊ですよ?」
「参議も御霊になってるんだろう?.......だったら柵とか無いんだから、会わせてやればいいじゃないか」
「そうは言っても.......」
参議の御霊は都の南門から入ってこない。いや結界のせいで入れないのかもしれない。
「だったら何か方法を考えろ。結界が緩くなる日を狙うとか」
宮さまの語気が荒くなる。もしかしてイラってしてる?本っ当に気が短いんだから、この子は。
「追儺ですかね、やっぱり......」
大晦の夜、年の狭間で僅に時空が緩む。故に魔を祓い、新しく結界を張り直すのだ。
「まず、その前に参議に確かめないと.......」
かつて想いを掛けてくれた健気な若者に会いたいと言ってくれるか、会ってくれるか......霞藍の君の想いに応える気があるか、まずは確かめねばならない。
だが、宮さまは迷いなくきっぱり言い切る。
「会いたいに決まってる!」
「........ならば確かめに行きますか」
溜め息混じりの康賢の言葉に頷く宮さま。
真夜中の都の外れなんて、それこそ鬼が出そうで怖いんだけど.......。
あ、そう言えば......。
「その日記を書いた大学寮の人って......」
おそるおそる尋ねる俺に康賢がにっこり笑う。
「藤原伴成さま......ですよ」
「やっぱり......」
筆まめ、色事もマメな伝説の大叔父でした。トホホ......
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