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その7-6
明くる日、大叔父から預かった小袖を渡した父はニコニコだった。
「さすがに伴成叔父上じゃ。香の趣味もよい」
大叔父は、小袖に庭に咲いていた白梅の枝を一枝添えて渡してくださった。その仄かな移り香が焚き染めた黒方の香と相まって風情がなお増した、というところか。
俺は父上の上機嫌を確かめたところで、おもむろに床に手をつき、上目遣いでそろそろと言葉を紡いだ。
「つきましては、お願いが......」
「願い?」
ふっと怪訝そうな表情になる父上。
「なんじゃ申してみよ」
「有馬の湯に湯治に行きたいのですが.......」
「湯治?」
ますます怪訝そうに眼を細める父上。
これは康賢の入知恵だ。
ー真木の参議の縁戚を訪ねるなんて言ったら決していい顔はしないから......ー
直接に関わりはしないものの、喬望は藤原の一門だ。式家、南家の企みとはいえ、藤原一門以外を排除しようとした曾祖父の意向を否定してはいない。
下手に藪を突っつかれたくはなかろう、というのが康賢の見解だ。
ー近江には殿上人がこぞって通いたがる有馬の湯がございますから、それを口実に......ー
「ひとりでか?」
父の問いに畏まって答える。
「友の賀茂康賢と、大雀部宮さまと......」
「倫智王さまか......」
突然、腕を組んでう~んと唸り出す父上。
何?
俺、なんかマズイこと言った?
「.......いかん」
え?なんで?
「有馬は近江じゃ。都から出るのは危険が多い」
知ってます。
でも、俺も康賢も乙女じゃないし、随身を連れて行くし.......。
野盗が出ても......てか、そんなもの出た日には宮さまみっちゃんが、嬉々としてバッサバッサやりそうなんだけど......。
「お前も一応は藤原の末席に連なる人間だ。誰が仇なそうとするかわからん」
あ、そこですか。
まぁ味噌っかすの甲斐性なしですけどね。
「賀茂康賢は、まぁあれは良い男だが、以前はなぁ.......。想い人を取られた公達もいたからな」
まぁ逆恨みですけど。八つ当たりで闇討ちされる可能性は確かにある。
でも、今はめっきり引き隠っているから大丈夫じゃないですか?
「倫智王さまは、東宮殿下のご寵愛深いお方。もし万が一のことがあったら、わしもそなたも、一門の者も無事では済むまい......」
一番の問題はそこ。
宮中に反東宮派や反北家派がいないわけじゃない。ことに式家は北家を目の敵にしているから、北家贔屓の東宮さまとはイマイチな仲。
でもね.......。
「でも、倫智王さまが行きたいと強く仰せなのですが......」
嘘は言っていない。
目的は違うけど。
う~んと頭を抱える父上。
ニンマリ微笑む俺。
「東宮さまと相談してきます。.......東宮さまが御許しになったら、俺達もお供で......」
「う.......」
言葉に詰まる父上。
権威に弱い上に小心で臆病なんだよね、この人。そのぶん大それた事をしないから安泰なんだけどね。真面目だし、お人好しだしさ。
「では、東宮さまとご相談して参ります」
ということで、頭を抱え込んだ父の前からさっさと退散。
「この問題児どもめ.......」
とこっそり呟いていたのは聞かなかったことにしよう、うん。
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