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今日も部屋を抜け出し、遊戯室へーーピアノの元へ向かう。子どもでも弾けるようにか、鍵盤の軽い電子ピアノが部屋にはあった。外見も音も、演奏家の使う物とは何もかも違うピアノだ。
ーーなのに、今日も一音すら鳴らせなかった。
不意に暗闇の中、何かがあることに気づいた。譜面台の横で微かに光っている。手に取って見ると、小さな熊のぬいぐるみだった。どうやら目の部分が反射で光って見えたらしい。忘れ物かと戻しかけて、明かりが点いた。
十四才くらいの少女が一人、驚いた顔で私を見ている。だが、私の手元を見た瞬間、表情を明るくした。
「やっぱりここにあったんだ!」
どうやら少女は、ぬいぐるみの持ち主らしい。そっと渡すと大事そうに、だが右手だけで受け取った。受け取り方に違和感を感じ、思わず左肩を見る。視線の先、腕はなかった。袖だけが揺れていた。
勝手な気まずさを覚え、すぐさま顔面に焦点を戻す。そこで初めて、彼女に見覚えがあると気付いた。少女は何かを察知したのか、太陽より大きく笑う。
「弾きに来たんですか? ……もうすっごい夜中だけど」
当然の問いにハッとなる。こんな時間に遊戯室にいるなんて、明らかにおかしい人だ。だが、自然な経緯は何も浮かばない。
戸惑う私とピアノの間に、突然少女が潜ってきた。椅子の右半分を残して座り、持っていた鞄からイヤホンを取り出す。そうしてイヤホンジャックに刺すと、右耳側のコードを差し出してきた。
私はもう弾けないよ。怖いんだ。
何も問われていないのに、行き過ぎた否定が浮かぶ。だが、笑顔を前に拒否出来ず、受けとり耳に嵌めた。続いて少女が椅子の空き部分をポンポンと叩いたため、流されるまま座った。鍵盤を指された時はさすがに断ったが。
少女は気持ちを汲んだのだろう。一人静かに音を鳴らしはじめる。右手だけで奏でられる音は、いつも聞いていた音そのものだった。
***
「君の名前は何て言うの? 私、君にあったことがある気がして……」
「会ったことはないけど、私のこと見たことはあるかもです。私は春日井うめ。前はピアノ……弾いてました」
演奏終了後の問いかけで、私はようやく彼女のーーうめの正体を思い出した。
うめは神童と呼ばれたピアニストだった。約七年前、事故で引退するまでは。
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