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 遊戯室には、子供が多くいた。各自遊んでいたが、うめの登場と共に視線を上げた。  歓迎される様子を、一歩離れて怖々伺う。うめは優しく私に目配せし、浅く手招きした。視線に圧倒されながらもうめの横に立つ。 「今日は私のお友だちに来てもらったよ。だから特等席もらってもいい?」  皆、うめを信頼しているのか、『良いよ』と声を揃えた。演奏するうめの横こそが、きっと特等席なのだろう。予想は当たり、うめはあの日のように椅子をポンポンと叩いた。私はそこに腰掛け、始まる演奏に耳を澄ます。  演奏が始まると、辺りはたちまち笑顔に包まれた。時々歌声が響いたり、踊り出したり、音色を心から楽しんでいた。広がる光景は、嘗て私がいた場所に似ていた。  意に反し、左手が浅く鍵盤に触れる。怖さに指先が震え、心臓の音が大きくなった。  奏でたい。でも怖い。あの日の光景が、脳裏に焼き付いて離れないーー。 「大丈夫だよ。ほら周りを見てみて」  温かな温度に呼ばれ、ハッと我に返る。私の左手にうめの右手が被さっていた。顔をあげると、太陽の笑みがそこにはあった。  助言通り、改めて辺りを見回してみる。煌めく眼差し、嬉しそうな顔など、幾つもの顔がある。けれど、不安も心配も、苦さの気配は微塵もなかった。  あの悪夢は、欠片もなかった。  指先が音を作る。一つずつ、ゆっくりと。手が離れ、うめも音を作りはじめた。二つは重なり、美しいハーモニーを作り出す。  雫が頬を伝った。反射的に止めようとしたが無理だった。音を求める指先も、鍵盤を弾いて止まらなかった。    私たちの演奏は、大いに子どもたちを喜ばせた。懐かしいような、新しいような気持ちだった。   ***  部屋へ戻る際、うめは微笑んで言った。 「私もまだ怖くなることってあるよ。でもね、やっぱり喜んでくれるのが嬉しいから弾きたいってなった。もう戻れない場所を見続けても楽しくないしね。あと、やっぱりピアノが好きって思うから……答えになったかな」  彼女はまだ、私と同じだった。少し先を行っているだけで、怖さも辛さも抱えていた。揺れる左袖が少しだけ切ない。だが、その現実が一層強く道筋を照らした。 「とてもいい答えだね。私もいつか、うめちゃんみたいに笑ってピアノが弾けるかな」 「きっと大丈夫よ。それにね……」  先程の音が、まだ耳の奥で鳴っている。とても心地よく、優しい音色が。  うめの声は、その音によく似ていた。 「私、今日は全然怖くなかったの。むしろ夢みたいに楽しかった。ありがとう喜一さん」
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