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私は先輩から事情を聞き出すことを諦め、足元へと目を向けた。先ほどから変わらず顔を見せないまま臥せっているパジャマ姿が、ピクリと動きを見せたような気がした。
「幸一郎くーん……?」
「んぅーっ」
はっきりと身じろぎした幸一郎君の体から低いうなり声が響いた。手足の先を強く握り縮めながら左右に腰を揺らす姿は、まるで何かを拒絶しているかのようだ。
「今日はお誕生会だよー、どうしたのー?」
「……しんだ」
「へ?」
ちらりと一瞬だけ目元を覗かせた幸一郎君が、ポツリと一言呟く。私が返事に窮していると、またプイっと地面に顔をへばりつかせてしまった。
ふと視線をその頭の先へと向ける。そこに青色の蓋のついたプラスチックケースが置いてあって、私はようやく彼の言ったことへの合点がいった。
「あぁ、店長が持ってきたカブトムシ……」
お湯を沸かすコンロの音に、先輩が食材を切る包丁の音が混じりリビングに響く。開け放しにされているドアと網戸の間を、ぬるい風が流れていく。
夏休みも終わりに近づいた8月下旬。へばりつくような残暑に汗を垂らしながら、私は、店長が困り顔を浮かべていた春休みの一場面を思い出していた。
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