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何でも店長の息子さんが去年飼っていたカブトムシが卵を産み、それが孵って増えすぎてしまったため貰い手を募っているということだそうだ。話を聞きながら、私は自分の顔が歪むのを抑えることができなかった。
「ええ……私絶対いりませんよこんなクソでか芋虫、同じ空間にいるだけでも無理です」
大きくバッテンマークを作り、断固拒否の姿勢を作る。成虫になるまでこのまま世話はいらないとのことだが、そもそも虫自体が生理的にダメなのだ。
「だ、大丈夫。もう貰い手は決まってるから」
困ったように笑いながら、しかし店長はあっさりとその身を引いた。バイト先にカブトムシを持ってきたのは探し手を募ってのことではなく、既に決まった引き取り先に渡すためだったらしい。
一体誰だ、そんな奇特な奴は。
「失礼します……恵茉、まだ着替えてないの」
「え、先輩? ヤバ、もうそんな時間」
自分よりも30分遅いシフトに入っている先輩が休憩室に現れたので、慌てて時計を見る。しかし、時刻は未だ私の勤務開始時間の5分前を示していた。先輩の方が早く来すぎているだけのようだ。
それを疑問に思う間もなく、続けて休憩室に入ってきた小さな人影がぺこりと頭を下げた。
「しつれいします! 店長さんも恵茉お姉ちゃんもこんばんは!」
「幸一郎君? あれ、今日お母さん夜勤の日だっけ?」
幸一郎君は私のバイト先の先輩……徳永御幸先輩の弟君だ。母子家庭の徳永家では、お母さんが夜勤の日には幸一郎君が姉である御幸先輩のバイト先に付き添って、バイト終わりまで休憩室で過ごすことになっている。3~4時間も狭い休憩室で小学生には退屈な時間ではないかと思うが、そこで
『勉強したり本読んだり、それにみなさんが話しかけてくださるから大丈夫!』
と明るく言い切ってしまうあたりが彼の愛嬌の良さたる所以なのだ。素晴らしい。
「ううん、ちがうよ」
「え、じゃあ単純に私に会いに来てくれたとか? 幸一郎くーん!」
「店長さーん」
腕を広げる私の横を通り過ぎて店長に駆け寄る幸一郎君。私の心に寒々しい風が吹く。うう、なぜあんなキモイ虫を持ち込むようなオジサンなぞに負けなくてはならないんだ。
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