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「恵茉、何してるの」
「先輩聞いてくださいよ! あれ何だと思います!?」
私はせめて愚痴だけでも先輩にぶつけようと、テーブル上の物体Xを指差した。先輩にも一緒にキモがってもらって、せめてもの留飲を下げようといった旨の作戦である。
「知ってるよ、カブトムシでしょ」
「え?」
そんな私の計画に反して、先輩は普段通り感情の薄い細い目のまま視線を前に向けていた。間の抜けた声を上げた私が視線の先を向くと、そこではちょうど幸一郎君が店長からプラケースを手渡されていた。
「ありがとうございます、店長さん!」
「いやぁ、礼を言うのは僕の方で……徳永さんありがとうね、引き受けてもらっちゃって」
「いえ、欲しいって言ったのは弟なので、私は何も」
「え? えぇ?」
私を蚊帳の外に話は進み、いつの間にやらカブトムシを中心とした和やかな空気が休憩室には漂っていた。
ああ、シフトの時間が迫る。
そわそわしている私に気付いた店長は、またまた気の毒そうな目をこちらに向けた。
「福沢さん、虫が嫌いらしくて……幸一郎君、このまますぐに持って帰れるかな」
「ええー! 恵茉お姉ちゃんカブトムシ嫌いなの?」
「え、いや、それは」
幸一郎君の寂しそうな表情が私の心をチクリと刺す。
いや店長、それは別に今言わなくてもいいじゃないですか。そういうところですよ、本当。そういうこと言っちゃったら……。
「同じ空間で息するのも無理なんだよね?」
「店長、ひょっとして結構根に持ってます!? そこまで言ってませんよ!」
「え、じゃあ恵茉、家に来れなくなっちゃうね」
そう言って幸一郎君の横にしゃがんだ先輩が私を向いた。カブトムシのケースを持ったままの幸一郎君も、さっきと同じ悲しそうな表情でこちらを見ている。御幸先輩の表情は相変わらず変化に乏しいけれど、すぐ横に並ぶ弟君の表情も相まって、彼女が残念がっていることがよく分かってしまった。そんな二人分の視線に射抜かれてしまったら、それはもう反則だ。
私は観念し、更衣室のドアの取っ手を掴み、呟いた。
「い、いやいや余裕ですし。超好きですよ、カブトムシ……本当に」
その日、私は帰ってから虫系の動画を見て漁った。そして気絶した。
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