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「料理、あと30分ぐらいかかるから」
「手伝いましょうか?」
「大丈夫」
それきり、またキッチンとにらめっこを始めてしまった。
しばらくその背中を眺めていたけれど、やがて諦めて深く椅子に腰かけ、小さくため息をつく。やることもなく部屋を眺めていると、どうしても以前お邪魔した頃と異なっている部分に目がついた。
リビングのテーブル端に霧吹きと、まだ中身が半分近く残っている昆虫ゼリーの袋。そこから目線を窓際の本棚に移すと、低い位置の所に昆虫の飼い方の本が立てかけてあった。
ああ、この家ではカブトムシもすっかり日常の一部として溶け込んでいたのだな。そんなことを考えて、カブトムシを少し羨ましく思うのは、我ながらどうかしている感情だ。
立ち上がった私は、青い蓋のケースの前にしゃがみ込み、改めてその中を覗く。ケースの側面をカリカリと引っ掻くメスのカブトムシと目が合い一瞬腰が引けてしまうが、流石にもう慣れたもの。所詮はケース越し、こ奴らに何か事を起こすことはできないと高をくくり自らを鼓舞した。
ケースの中心でひっくり返っている例のカブトムシは、何だか少し先ほどと姿勢が変わっているように見える。けど、それはきっと錯覚なのだろう。
チラリ、と。幸一郎君から感じる視線。
私は呟いた。
「この子、庭に埋めてあげようか」
「いやだ」
即座に拒絶が返ってきて、幸一郎君を見る。顔を半分だけずらしてこちらを見返すその目は、赤く充血して涙でぬれていた。そこに湛えられていた感情の強さに、軽はずみな提案をしてしまったと後悔し、動揺してしまう。
私の口は、ついついどこかで聞いたようなつまらない言葉を連呼する。
「でもさ、このままじゃ可哀そうだし」
「いやだ…」
「お墓作ってあげてさ、それで」
「いやだ! ぅあああぁああ!!」
ガバッと起き上がって、とうとう幸一郎君は覆いかぶさるようにプラケースを抱きかかえ、わんわんと泣き始めてしまった。
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